オランダでは日本人が労働ビザなしで働ける 理由は明治時代、不平等条約撤廃後の日蘭条約が生きていたから
明治時代の条約がまだ生きていた!? 「オランダ」と聞いて、風車やハウステンボスしか思いつかない人も、江戸時代の出島といわれれば「そういえば学校で習った」と思い出すかもしれない。 江戸時代、鎖国中はヨーロッパでは唯一オラン…
明治時代の条約がまだ生きていた!? 「オランダ」と聞いて、風車やハウステンボスしか思いつかない人も、江戸時代の出島といわれれば「そういえば学校で習った」と思い出すかもしれない。 江戸時代、鎖国中はヨーロッパでは唯一オラン…
8月15日は終戦記念日といわれる。 「どうして敗戦記念日といわないんだ!」となぜか怒るひともいる。だけどあえていえば、1945年8月15日はポツダム宣言(降伏勧告)を日本が受諾したことを、天皇が自らラジオ放…
大連の名付け親は日本だった 19世紀末までは「青泥窪」と呼ばれる15戸ほどの集落にすぎなかった彼の地。そこに李鴻章が旅順に北洋艦隊の基地をこしらえたのは日清戦争の直前のこと。戦争後はいちど日本領になったものの、ご存じロ…
日本がアメリカに敗れてもアメリカにならなかったけれど、ロシアに敗れていれば日本はロシアになっていたのよ。そう話してくれたのは祖母、日露戦争に従軍した父の娘でもある。また、命がけで満州から引き揚げて来た従姉妹をもつ。 …
こんなふうに味わいのあるホテルに泊まったのは生まれて初めてかもしれない。大連の中山広場にある「大連賓館(だいれんひんかん)」、中国国営の3つ星ホテルである。このホテルの歴史は、なんと日露戦争にまでさかのぼる。 日…
日清戦争を学校で習ったのは小学6年生のとき。 このとき「遼東(りゃおとん)半島が日本に割譲された」というのにすごく反応した記憶がある。反応したのは「りゃおとん」という語感。いかにも中国語といった感じに、萌えた。教科書の挿…
リトアニア、ときいてそれがどこにあってどんな国なのか知る日本人はあんがい少ないかもしれない。ましてそこにどんな歴史があり、なぜ親日家が多いか知る人は。 100年より少し前の1906年。リトアニアで3冊の本が発刊さ…
全記事に続き、カンボジアについて書きます。 正直言って、ここを訪問したことを少し後悔しています。あまりにも強烈だったから。ただの興味本位で行くところではないなとつくづく思います。記事としてここにアップすることもずいぶん逡…
プノンペンはいま、発展のまっただ中。 建設中の高層ビルは中心から郊外へと範囲を広げ、都市と郊外を結ぶ立体道路が造られる。ボーリングの音、高いクレーン、人や物を満載して渋滞する車。そのなかをチャーターしたトゥ…
うっかり映画『テルマエ・ロマエ』(2ではなく1のほう)を観てしまったぼくは、だからというわけではないが古代ローマ帝国にちょっとした片思いをした。相手を好きになれば相手を知りたくなるのは恋と同じ。ディスカバリーチャンネルの…
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