ジョホール・バル
東南アジアに、とりわけマレーシアに関心を持ち始めたのが1年とすこし前。去年の9月にクアラルンプールへ飛び、そのまま一戸サービスアパートメントを買うことを決めた。普通の人はそれまでに勉強し調査や検討を行うが、ぼくの場合、購…
東南アジアに、とりわけマレーシアに関心を持ち始めたのが1年とすこし前。去年の9月にクアラルンプールへ飛び、そのまま一戸サービスアパートメントを買うことを決めた。普通の人はそれまでに勉強し調査や検討を行うが、ぼくの場合、購…
『宇宙戦艦ヤマト』がテレビで放映されたのは1974年、ぼくが小学生のときである。あのころの日本はテレビにせよ映画にせよ、やたらと「滅亡もの」が流行っていた。「日本沈没」、「ノストラダムスの大予言」などがそうである。ゴジラ…
一枚の切符でヨーロッパへ というコピーがある。いまなら飛行機であたりまえの話だが、時代は明治、鉄道でいけるチケットである。日露戦争が終わり、朝鮮半島を併合して間もない1913年。東京とパリを結ぶ鉄道チケットが売り出された…
行き先を告げると周囲の反応はたいてい「なんでまたそんなところに?」という冷めたもの。めんどくさそうだし、だいいちどこにあんだよそんな国と言われる。ごもっともである。知ってる言語が使えないし、情報だって少ない。だからこそ(…
黒海の港町、オデッサにやってきた。 リヴィウから移動する先をヤルタにしようかと少し迷ったが、結局名前でオデッサに決めた。名前だけは、日本人にも馴染みがある。でもそれが黒海に面した港町で、ウクライナ第二の都市だということは…
西ウクライナの都市、リヴィウはとても美しい都市である。キエフあたりから直接飛べば、これが同じウクライナだろうか?と思わずにいられない。まるでオーストリアかポーランドに着いたかのような気分になる。 空港からのタクシーは、予…
東京からツアーを申し込むと、直ちにウクライナから確認の電話があった。わざわざ国債電話である。「申し込んだのはあなた?ご自身が行かれるのですね?ところで訪問の目的は?」と矢継ぎ早。とっさに思い浮かばず「安全であることを確認…
1986年4月26日、ぼくはベラルーシからポーランド南部にいた。 アウシュビッツ収容所を見たあとで、カトヴィツェという街で安宿にありついたところだった。その日の未明にチェルノブイリ原発第四号基で大爆発があっ…
ウクライナの首都、キエフ。 地元の人はそれぞれ、ユクライナ、キーフと呼ぶ。かつてソビエト連邦があったころは15あった共和国のひとつ。歴史を辿ってみれば、実に多くの受難の時代がある。11世紀の頃は神聖ローマ帝国やフランスと…
モスクワを定刻通り発ち、ウクライナの首都、キエフへ。どうやら機内でうつらうつらしていたようで、ドーン!ととんでもない音で目が覚めました。なんとも派手な着陸でした。上から手荷物が落ちてきた席もあったくらい。機内騒然。 22…
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