入れたコーヒーがすぐ冷める。そんな朝を迎えながら、7年前の今日、イラ写を開設したんだっけ?とぼおっとした頭で思う。たしかバレンタインズデイの前か後、そのあたり。「なんとか記念日」をかたっぱしから忘れるタチである。
とにかく2005年の2月のよく晴れた休日の朝、このブログは『香港イラスト写真日誌』という看板を掲げ、はてなダイアリーで産声を上げた。場所は香港、九龍半島、地上25階のアパートの一室。
ひっそりとしたオープンだった。
人知れず、知らせることもなく、かつてあった個人HP「naokin.net」の続編でもやるか、という感じであった。特別な思い入れもなかったが、あえて言えば「小さなカウンターBar」をネットにこしらえたいと思った。カウンターのこちらからなにかお題(テーマ)を出し、それについてお客さんと意見を交わす。そんな場に出来ればと思った。店は小さいけど入口は広い。はじめての女性の一人客も遠慮なく入れる。そういう雰囲気が出せればと思った。
だから顔出しはどういう人がやっているのか安心してもらうのに必要だし、再び来たときに迷わないよう、タイトルロゴと画面デザインは変えないようにした。
途中、東京イラ写へと引き継がれ、7年間。
はじめたばかりのころは、一日、ひとり、ふたり。10人来ればもう満員という感じであった。いまでは1日平均1200人。店はいくぶん広くなったのだろうか。カウンターから客席まで遠くなったぶんコメントは減った。返事のレスポンスが悪いからかもしれない。
▲ 初期の頃の人気キャラ「カラダくんとココロくん」のデビュー作、アタマくんの登場はさらにあと
始めることに明確な必然性はなくても、続けるにはそれがいる。
途中、絶対止めたくなるからだ。なお続けるには必然性に支えられた意志が必要だ。
明確な必然性。
それが「アウトプットを習慣づける」だ。
それも、いささか強制的に。
▲ これも7年前のイラスト、なぜか人気があり「ポスターで使いたいので」という一般からの申し出までありました
ふだんぼくたちは本を読み、音楽を聞き、ネットをブラウズし、テレビを見たり、ラジオを聞く。インプットは言われなくたって自然にやっている、だから習慣になりやすい。
いっぽうで考えていることを口にしたり、文字にしたり、音にしたり、作品に変えたりするようなアウトプットは、簡単なようで意外とたいへんである。聞いたことをや食べたものをそのまま口述したり、書かれていることをコピペする行為は簡単だけど、自分で理解し、考え、外に伝え、他人に理解してもらうことはそれなりにしんどい。
▲ マッサージを受けながらも頭の中はこのイラストのイメージを浮かべてたりしてました(2005年3月頃)
よいアウトプットを心がければおのずとインプットも良質なものが欲しくなる。ネットより本や直接人に聞くようになるし、メディアに載る情報はうのみにせず一度自分なりに考える癖がつく。知らない場所に出かけるモチベーションになるし、旅先でも活動的になる。例えば、この7年間の読書量は過去どの7年間よりも多い。
ブログを続けただけで、膨大なインプットが得られたように思う。これはなかなか意外だった。2日に1回更新しようと思えば、いろんなことに同時に関心を向け、またはいろんな角度からひとつのことに関心をもつことが必要だから。
もともとめんどくさがり屋なので、「自分のため」程度の動機では絶対続かない。「書きたい時に書けばいいさ」というのなら、せいぜい2ヶ月に1回更新するかどうかだ。そんなんじゃ習慣にはならず、やがて止めたはずだ。
続けられた動機はあなたと、他の読者のおかげ。
コメントが空にならない限り、がんばろうと思った。
自分の書くことが受け入れられた(たぶん)ことで、人のことがもっと好きになり、さらに関心をもつようになりました。あなたの存在が、ものぐさなぼくの尻をけとばし、アウトプットを習慣づけさせてくれました。
これまで書いた記事が1150、描いたイラスト2000枚以上、いただいたコメント、メールは数知れず。出会った人たちも大勢、再開できた人たちも大勢、イラ写のオフ会で出会い、結婚したカップルもちらほら。
▲ 2005年6月、香港イラ写を閉鎖したときのイラスト。うーん、あれは悲しかった
7年という歳月は、やっぱり長かったと思う。
止めずにいられたのは、幸運と、あなたのおかげです。
くどいけど、ほんとうにありがとうございました!
あらためて「なおきんプロフィール」をご紹介。
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