古い友人からのメールを受信ボックスに見つけた。
はて、なんだろう?と開いたら「久しぶりに会った元カレが禿げててショック」という内容。唐突にそれだけである。元気?も、最近どうしてる?もなし。それこそこっちがショックであった。
「古い友人」とは高校時代のクラスメートである。
仮にエミコとしよう。エミコは生物学的には女性のはずだが、そんなこと意識したこともない。そのことはオタガイサマである。フェイスブックで互いの生存を知り、だが互いに放置。いまは四国の松山に住んでいて、高校生の息子がいるという。彼女が教えてくれたわけじゃない。プロフィールにそう書かれていたから知ったまでのこと。ていうか、そういうことプロフィールに書くかなと思う。
エミコも、もう40後半である。
元カレが禿げようが腹がタルもうが文句は言えまい。
人間にも季節があるということだ。
それどころか、もしつきあっていた相手が20歳年上ならば「元カレが認知症になっててショック」だったとしてもおかしくない。ゼイタクは言えない。「元カレの要介護度が4に上がっちゃったの」という会話だってありえるのだ。
日本人の平均寿命は女性86、男性80。
女性のほうが長生きである。しかも旦那や彼氏は年上のことが多い。ということはつまり、元カレなり今カレなり、男性のほうが10年先を行っているのだ。そして先に死ぬのである。恋した男たちが次々と逝くのを見送る、そんな年月がやってくる。
厚労省の資料を見れば、日本の男女比率は60歳で50:50。70歳で男40:女60、85歳では男28:女72とある。最近のおばあちゃんはとても元気だし、信じられないくらい若々しい。その上「いつまでも恋していたいの」などという。
だがゆえに、競争率はとんでもないくらい上がる。男1人に女3人が群がるという図。いわばひとりのオトコをみんなで共有しちゃうのだ。カラダが持つんだろうか、といまからぼくも心配である。
エミコ、ぼくがいいたいのはそういうことだ。
元カレが禿げてたくらいが何だ。それどころか、あと40年もすれば「老老出会い系サイト」で「認知症でなければダレでも(はあと)」みたいな条件をカキコんでるかもしんないのだぞ。
いいアドバイスがある。
介護士の資格をとっておけエミコ。
40年後、キミはモテモテだ。
最近のコメント