十代のころ、自分の顔がキライだった。
良し悪しではない。ただ、キライだった。
鏡はよく見ていた気がする。
髪型が気になり、ニキビが気になった。
きっと、見てくれがすべてだったのだ。
そんなこと口が裂けても言えなかったけど。
鏡を見るたびに不機嫌になり
鏡をのぞく自分の顔がキライだった。
顔というより自分がキライだったのだろう。
コンプレックスも掃いて捨てるほどあった。
人間には顔の作りや表情のほかに
「人相」というものがある。
手相がそうであるように人相も変わる。
顔の作りは変えようがないけど
表情なら変えられる。
では、人相は何によって変わるのか?
人相は「鏡」であるような気がする。
毎日出会う人たちの顔、顔、顔
それが、自分の人相に映り込むのだ。
久しぶりに会う友人
その顔に「おや?」と思うことがある。
いい顔してるなあと思うこともあるし、
ひどい顔しているなあと思うこともある。
人相こそは周囲の人の顔を映す。
職場を映し、家庭を映すのだ。
自分の周囲にはろくな奴がいない。
そう言い切る人の人相はよくないが、
たぶんその人の顔を映す周囲の人の人相もまた
よくないに違いない。
お互いに人相を悪くしている。
「あいつ、ムカつく」というが
「ムカついているのは自分」だ。
逆もある。
「あのひと、美しい」というが
「美しがっているのは自分」だ。
人相は周囲のひとたちの顔を通じて
変えられるのかもしれない。
よくなるかどうかは、あなた次第であるが。
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