買わせられるものなら買わせてみろ!
そんな思いでアマゾンのページを開く。
前回は『広島風お好み焼き』5セットを買った。
その前は『iPhone用ソーラー充電器』であった。
このごろはもう、本よりもそれ以外のモノのほうが多い。おかげでアマゾンから実にいろんなモノが推薦されてくる。鍋やフライパンなんてのもある。
むしろ書籍のほうはアマゾンより街の大型書店で買うようになった。もしかしたら「紙の手触り」で買うかどうかを決めているのかもしれないし、インクの匂いかもしれない。いずれも電子書籍やアマゾンなどでは味わえない要素である。レジ前で「あ、カバーと袋はいらないです」と言えるのも書店ならではだ。
「考えたくない」人にとってネットはほんとうに便利である。黙っていてもいろんな自分の好きそうなことを教えてくれる。「これをみた人はこれもみています」と嗜好の似たモノを紹介してくれる。たぶんぼくの行動履歴も、あちこちで紹介されているのだろう。便利だが、ますます考えたくなくなりそうだ。
2010年初頭を境にインターネットは変わった。
そのひとつにグーグルの検索結果が、ひとりひとり違うものとなったことだ。同じキーワードを検索しても1番にヒットするページは、ぼくの1番とは違う可能性がある。大々的な発表はなかった。ぼくはネット広告をやっている友人からそのことを聞いた。「もう追いつけない、商売上がったりだ」彼はそういい、寂しそうに笑う。
グーグルもフェイスブックもアマゾンも、とても便利なサービスだ。あれだけ便利なものが無償や格安で使えるのだから感謝すべきなのだろう。でもその成果はとっくに払わされている。そう、個人情報を提供することで。あなたが一体何に関心があるかとうにお見通しで、そのことは知らないところで知らない相手の商売ネタになっている。フェイスブックがいったいどんな手をつかってぼくたちに見せるものと隠すものを決めているのか、利用者の誰も知らないでいる。
全世界で送信されるメールは一日で2100億通。
同じくフェイスブックのニュースフィードは6000万件、ツイッターのつぶやきは5000万件、ブログは90万件である。
その一つがこの記事でもあるわけだけど、それにしても膨大な数だ。いったい誰がこれだけの情報を必要としているのか?無くてはならない情報もあるのだろうが、大半はよくわからない。
だがグーグルやフェイスブックにとってはそれすら意味がある。あなたのクリックはひとつひとつが商品であり、マウスの動きはマイクロ秒単位で競り落とされている。「オンラインにおけるユーザーの行動に関する情報」は思いのほか巨大な市場で、パソコンやスマホの利用者、一人あたり1500項目もの個人情報を集めてデータベース化しているともいわれる。
WEBサービスはますます「マイページ化」し、関心のある情報しか表示されなくなるかもしれない。人間はもともと「見たいものしか見ない」性質があるものだけど、これが加速する。3つの中からひとつを選べるぼくたちも、1000の中からひとつ選べといわれれば途方に暮れる。なにしろほんの100年前なら人間一生分の情報を、わずか一週間で処理しなくちゃならない時代だ。
だから「なんでもいいから自分が必要な情報だけ届けてちょうだい!」となるのも無理もない。安心していい。すべてはあなたが自ら選ぶことなく、瞬時に向こうからやってくる。それが時代なのだ。便利だが、良し悪しはまた別の議論である。
あらためてぼくはアマゾンに挑む。
そして敗北する。
宅急便のお兄さんとはすっかり顔なじみだ。夜道ですれ違えば「荷物あずかってますよ」と言われる。ぼくはお兄さんのことはほとんど知らないが、お兄さんにはだいぶぼくのことがバレている。
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