ドイツに住み始めたばかりのころは、とても生活が苦しかった。ただでさえ少ない給料を、せっせと貯めては旅行に出かけていたからだ。ぼくにとっての生活必需品はまず「旅」であり、衣食住はその次であった。
食生活については、とくに犠牲を払うことになった。
でも幸いにして、ドイツはじゃがいもとビールが安い。ミルクと鶏肉も安い。それからなんといってもパンやパスタが安かった。食べ盛り、かつ貧乏生活にはとりあえず腹がふくらむ炭水化物が安いのはありがたい。
そんなわけで、給料日の直前ともなればいよいよ食生活は貧しく、小麦粉をミルクで溶いたものを焼いては腹の足しにしていたものだ。はやい話がパンケーキなのだけど、余裕があればベーコンの切れ端を混ぜたり、パプリカやトマトをのせて食べた。チーズ無しのピザのようなものだ。
それにしては、と当時思ったものだ。
小麦粉はこんなに安いのに、米はどうして高いのだろう?西の小麦粉、東のお米。しかも日本よりドイツで売っているお米のほうが(質はともかく)安かった。小麦粉はそれよりさらに安いのだ。スパゲティにしたって500gで60円ほど。ドイツは豊かに見えるが貧乏人にやさしいところがある。そう思えば、浅はかにも「きっと農協の陰謀に違いない」などと、日本の食習慣を呪いたくもなった。
ヨーロッパの貧乏旅行は鉄道に限る。
それは移動手段であり、宿泊手段でもあった。1ヶ月乗り放題のチケットを安く買い、ヨーロッパ中を追加料金ナシで乗りまくる。一夜明けると、そこはもう違う国。そんな旅は本当にくせになる。いろんな国の人達と友だちになれるコンパーメント式の席も楽しい。
車窓から外の景色を眺めているのも好きだった。同じ陸続きなのに、国境が変わればそれっぽく景色は違って見えた。国境だってなんど引き直されたかしれない。だのにそれは連続する風景の節目であり、ちゃんとコントラストされているのだ。
ただどこの国を走っていても共通してあるのが小麦畑だった。緑と茶のコントラスト。秋にでもなればそれは黄金色に輝く。合間に家が、それから教会の尖塔がときおりのぞく。小麦畑こそはどこにでもある光景だったのだ。
そこに異変を感じたのは、一時帰国し東京から故郷の広島へとむかう新幹線のなかだった。窓側に座り、外を眺める。ぼんやりと「ああ、日本だなあ」と風景を懐かしむ。陽光を浴びでキラキラと光る水田には、必ず農家の人がひとり、ふたりいた。トラクターに乗り、あるいは腰をかがめての稲作作業。彼らはまいにちまいにち田や畑に出ては虫をとったり雑草を取り除いたりしているのだ。そういえば、ヨーロッパの小麦畑に農家がいるのをみたことがない。もうその時点で100時間以上、車窓を眺めていたにも関わらず見た記憶があまりない。
放っておいても小麦は育つ。
そのことを知ったのは少し後のことだ。乾燥して雨が少ない土地であれば、小麦をただ撒くだけで、勝手に育ち、秋になれば穂をつける。なんてことをいえば小麦農家におこられそうだけど、ともかく稲作に比べればずっと育てやすい。
収穫高あたりの手間やコストが、こうして売値に影響するのだろう。などと当時は漠然と考えていたものだけど、今にしてみれば稲作こそが日本人を日本人たらしめているような気もする。毎日まいにち田や畑に出る習性は、それこそ時代が変わり業態が違っても、勤勉でいないと落ち着かなく忍耐強い日本人をよく表しているのだ。稲作はほかのアジアでももちろんやっているが、あのていねいなコメ作りは日本以外ではちょっと見られない。びしっと穂が整列してる感じの水田を見るたびにそう思う。コメの味には直接関係のない部分でも手を抜かないところがスゴイ。
米が主食だからこそ、日本人なのか
日本人だからこそ、米が主食になったのか
ヨーロッパの田園風景を思い出すにつけ、そう思う。
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