へ・ん・し・ん !
ところが・・・
そろそろ退役させたい外付けハードディスクから「消えてしまうとあとできっと悲しい思いをするにちがいない」と思われるデータを物色し、どこかのサーバーに避難させることにした。ハードディスクも5年を過ぎればずいぶん思い出がたまるものだ。「10年ひと昔」なんて時代はとうに過ぎ、いまや「1年ひと昔」である。最近はもっと短いかもしれない。
友人であるちょいワルおやじなサカグチさんは、20代の愛人とたった1ヶ月で別れたと言っていた。早い。「2回しか逢ってないのに」とサカグチさんは嘆く。否、20代の相手からすればメールやフェイスブックのやり取りですでにお腹いっぱいになったのだ。早いのだ。なにもかも。温まるのも、冷めるのも。サカグチさんの場合、夢から「覚めるのも」というべきかも。傷は浅いぞサカグチさん。なにごとも早期発見、早期治療である。
・・・何の話だっけ?そうだ、ハードディスクだ。
そもそも5年前のデータのうち「消えると悲しい」データとはいったいなんなのか?ぼくの旅はまずそこから始まる。あなたも考えてみて欲しい。それはいったいなんなのか?昔の恋人のラブレターをなかなか捨てられない人がいる。そんな人にとって「消えると悲しい」データは多いだろう。思い出は美しすぎるタイプだ。「あのころ少しはモテたのよ」そんな賞味期限切れの勝負写真も含まれているかもしれない。世のサーバーにはきっとそんなデータであふれているのだ。
引越しのとき、長年探していた「アレ」が見つかったり、なつかしい「ソレ」が見つかったりして、なかなか作業が前に進まないことはないだろうか。ぼくなんかそれが病みつきになって、毎年引越しをしていた時期があったほどだ。
いっぽうでいざ無くなってみると、ああ、なくなっちゃったなくらいであまり執着しないのもぼくの性格である。むしろふっきれてせいせいすることだってある。「消えると悲しい過去」もあまりないのかもしんない。思い出もデータも、また1から作りなおせばいいのだ。だいじょうぶ、きっと前よりうまくできるから。
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