ぼくは1日だいたいコーヒーを5杯飲む。
飲み過ぎじゃないか? とまるでアル中のようにいわれるが、飲んじゃうんだからしょうがない。それでからだもすこぶる調子いい。コーヒーが好きになったのはちょうどドイツで暮らし始めた20代のころである。それまでは、たいしてコーヒーなんて好きでも嫌いでもなかった。タバコが吸いたいから、ついでに飲むといったかんじだ。
コクと香りを楽しみたいので、深煎りエスプレッソ豆を使った濃いめのコーヒーが好みである。だいぶ昔に、いちどイタリア人のガールフレンド(と勝手に思い込んでいた)に「なんでこれをエスプレッソと呼ぶのだ?」と訊いたことがある。エスプレッソ = エクスプレス、つまり「急行」と「濃いコーヒー」の関連性が分からなかったからだ。
「蒸気機関車のように蒸気ですばやくコーヒーを抽出するからかしらね」
と彼女は答えてくれた。
なるほど急行列車だからか!
と合点したが、そうではない。客に待たせることなく素早くコーヒーを提供するからエクスプレスというわけだ。これぞ元祖ファーストフードである。
イタリアやスペインで、朝も開いているバールに行けば、カウンターでうまいコーヒーが飲める。客はたいてい男たちで、注文してコーヒーを受けとり、ひと息でカップをあげてさっさと店を出る。これがなかなか粋である。いちどにひとつのことしかしない。「ながら」の象徴であるスタバでは見られない光景である。
17世紀に遡るほど歴史を持つコーヒーであるけれど、それぞれの国で特徴付けられたのは意外にも1806年のナポレオン戦争であった。戦争をきっかけに大陸は封鎖され、植民地産であったコーヒー豆は輸入が困難になってしまった。慢性的に不足することになったコーヒーは超高級品となり、一杯ぶんの量が減らされた。デミタスカップ(半杯カップ)が登場したのは、これが所以である。
対応策として、ドイツやフランスではどんぐりやチコリが代用された。かつて、ためしにどんぐりコーヒーをのんだことがあるが、ただの苦いお湯である。渋味が舌に残り、二口と飲めないシロモノだ。不味いじゃないかナポレオンめ。
同じくコーヒー豆が配給となった時代、アメリカではお湯で薄め、逆にイタリアではお湯を減らして質を優先した。ドイツやフランスはどんぐりで代用した。ひとは環境に慣れやすく、舌や嗜好もまた慣れていくが、文化の違いとはここに出る。あえて勝敗をあるとすれば、ドイツは敗れイタリアが勝利した。ドイツのどんぐりコーヒーは廃れ、デミタスコーヒーは次時代の礎となったのだから。
ナポレオン戦争の1806年からちょうど100年後の1906年、ミラノで万博が開かれた。そこで披露されたのがエスプレッソマシンである。蒸気パワーで、ひとりひとりに一杯ずつ、美味しいコーヒーを提供する。しかも「素早く」だ。このマシンなかりせば、今のスタバもタリーズもなかったに違いない。
というわけで、きょうも5杯のんでます。家にエスプレッソマシンはないけれど。
最近のコメント