ドイツの社会心理学者、エーリヒ・フロムが1947年に出した『人間における自由』がなかなか面白い。個人の自由がいかにしてナチズムへ傾倒していったかをとてもていねいに分析している。
この本70年も前に書かれたのに、これっていまのことだよね?と認知させられるものが多い。書著によれば、市場経済が発展していけば、モノの価値はその使用価値よりも交換価値できまるという。つまり「どれだけ役に立つか」よりも「いくらで売れるか」のほうが価値があるのだ。
そして人間の価値も同様であると。
どんな人格や能力を持っていようと、いかに周囲から好かれ、人気があるほうに価値がある。それが市場経済の発展系なのだ。
言い換えれば「売れるから良いモノ」で「人気があるから良い人」なのだ。となれば、人気は作ってでも大きくせねばならない。そこで広告・宣伝がとても重要になる。ゲッペルス宣伝相がナチスでも高い位にあったのは、プロパガンダの力が評価されたからだ。
自分の評価は、周囲からいかに好感をもってもらうかで決まる。政治家の票集めから世論調査。人気ランキングやヒットチャートなど人々の関心はそこに集まる。手っ取り早く好感を持たれる方法を説いた本やセミナーに人が集まる。「能書きはいいから、さっさと教えなさいよ」と。
いかによく見せるか?
あるいは、いかに人気があるか?
というのはネットのお陰でとてもわかりやすくなった。なにが人気なのかが数でわかる。アクセス数にブックマーク数、ツイッターのフォロー数や、フェイスブックの「いいね数」など、とても明らかだ。人気者のニュースフィードには「これ食べました。美味しかったです」というラーメンの写真に『いいね』が800以上ついていた。確かに、情報の価値より人気の価値のほうが高いことがわかる。
人に好かれたい、認められたい
とするぼくたちは、ともすればこの自己愛に苛まれて、おかしな努力をしてしまうのかもしれない。他人の目がすごく気になり、やがて対人コミュニケーションにストレスが溜まり、耐えられずこんどは人の視線を避けるようになる。
こういうのはなかなかしんどそうである。
言いたいことは山ほどあるが、人と話したくない。会いたくない。となれば、なるほど文字コミ(文字によるコミュニケーション)に走りがちだ。文字コミは相手を見たり、相手から見られたりしなくてすむ。
「文字だと雄弁」な人はぼくの周りにもたくさんいるが、これもエーリヒ・フロムの説く市場経済の発展ゆえなのかなあ。などと思ったりしながら、ブログにそれを書くぼくもいいサンプルなのかもしれない。
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