ふいに10年前のことを思い出そうとした。
2002年6月6日。自分はどこで何をしていただろう?どこに住み、どんな仕事をしていて、だれと会っていただろうかと。
そのときぼくは38で、もうすぐ39になろうとしていた。湿度90%の香港の街に住み、冷房のききすぎるオフィスと台湾や中国各地を、ほぼ1週間おきに往復していた。そのころ持ち歩いていたパスポートは分厚く、ひらけばこの日に押されたスタンプが確認できると思う。空路で台北か、陸路で深セン。そんなところだ。その前に1年間と少しだけ、とある上場企業の子会社で雇われ社長をやっていたが、いわゆるITバブル崩壊の余波を受け、親会社が倒産する。たちまちオフィスを追い出され、住んでいた香港島のアパートを追われた。仕方なく香港島から九龍半島へ居を移し、業務を引き継ぐための会社を設立した。前会社のスタッフも受け入れた。前途多難な船出。いっそ香港から逃げ出し、元いたドイツに戻ろうかとも思った。だが意地もある。ありがたいことに、一緒に仕事をしていた相棒や仕事仲間、友人たちもいた。
あのとき、こうしとけばよかったかな?
と思うこともある。競走馬のように前しか見てなかった当時。みっともなかったし恥ずかしかったしとんでもなくダサかった。奇妙な万能感があったし、どこか勘違いもしていた。それが打ち砕かれ、自分の小ささを感じずにはいられない。あらためてビジネスの怖さや、香港人や中国人のたくましさや怖さをひしと感じた。だのに2002年6月より前のぼくは、そのことを見ようともしなかった。
なぜ、10年前のことを思い出そうとしたのか。
ちょうど10年後の自分のことを考えていたからだ。
10年という年月はそれなりに長い。が、案外そんなに遠くはない。それでも10年前の自分を恥ずかしいと思えたなら、あるいはいくらか成長したといえるかもしれない。少なくとも自分の過去がまぶしいと感じるより、ずっとマシな気がする。まあ、ぼくにまぶしい過去など、どちらにしたってないのだけど。
2022年6月6日、たぶんぼくは10年前の今日を思い出すのだろう。もしかしたらこの記事を見つけるかもしれないし、このイラ写なんてとうに消えてなくなっているかもしれない。
そのときも「あのころはダサかったなあ」と思い出すのだろうか。いやきっと、ダサかったと思い出すに違いない。
というか、そうありたい。
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