49というのは、どこか不吉な歳である。
4と9。どちらの数字も縁起が悪い。
日本だけでなく、中国人でもそういう。
香港の高層ビルは部屋番号に4や9を
避けたりするのは当たり前で
階数まで避けたビルがあるくらいだ。
3階の次は5階で、8階の次は10階というふうに。
あの織田信長は49で本能寺で自害した。
かの西郷隆盛も49のとき西南戦争で亡くなった。
また聖徳太子も49の時に斑鳩宮で倒れ、没した*1。
秦の始皇帝も、夏目漱石もたしか49が享年だ。
最近の著名人では山下清、寺山修司、松本竜介
それぞれが享年は49歳である。
そんなこともあって、子供のころからもし自分が大人になれたとしても、おそらく49で死ぬだろう。と漠然と考えていた。そのときは49なんて永遠と変わらなかったからなんの実感もなかったが、いま思えばゾッとする。
ゾッとはするけど、死はいつも隣り合わせだ。
例えばきょうが人生最後の日だったらどんな後悔を口にするだろうか、と思う。
人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年間たずさわった、あるオーストラリア人看護師の手記がある。彼女によれば、人間は誰しも死の間際にしっかりと人生を振り返ってみるのだそうだ。そして多くの患者が語る、もっとも多い後悔のトップファイブがこれである。
死ぬ間際に口にした後悔TOP5
1. もっと自分の気持を表す勇気を持てばよかった
2. あんなに一生懸命に働かなくてもよかった
3. 友人関係を続けていればよかった
4. 自分自身に忠実に生きればよかった
5. 自分をもっと幸せにしてあげればよかった
「自分の信じるままに生きる」のはことのほかしんどい。「他人に望まれるように」生きるほうがむしろラクなときがある。長いものにまかれて生きる、それもひとつの人生のありようかもしれないが、ふと気がつけば自分のことはいつも「後回し」である。
自己犠牲というのは美しいし共感も得やすいけれど、そのために自分や自分の大事な人をおざなりにしていることに気づかされる。そのことに気づいたとき、まさに自分の死に際だったらどんなにせつないことだろう。
誰かを幸せにすれば自分に返ってくる。それも事実だ。でも、誰かにしてもらう幸せは、薄氷にようにどこかあやうい。自分の意志でこの身を動かせるのはやはりこの自分自身である。ときどき自分の手のひらを見ながら、この手を自由に動かせるのは他でもない、自分なのだ。と思う。
オーストラリア看護師によると、この中でもっとも多い後悔が 4. の自分自身に忠実に生きればよかったなんだそうだ。自分にはまだこんなに夢が残っていたのか・・と思いながら息を引き取るのはなんともやるせない。
夢は生きているうちに見たい。
おそらく「いつか・・」 はこの先
ずっと「いつか・・」のままであると。
そんなことを49になった日に考えました。
明日からわがままになったら、ごめんね。
*1:48という説もある
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