その教会は、ロシアとの国境からすぐのところにある。
さっそくチェックインしたばかりのホテルで、フロントの女の子に「ツミンダ・サバメ教会までどういけばいい?」と聞いてみる。*1
「安くいくならマルトルーシュトカ(乗合のミニバス)、確実なのはジープ(4躯)をチャーターすることもできるわね」と女の子はどこかに電話をかけ、教えてくれる。なにしろツミンダ・サバメ教会は、標高2千2百メートルのところにあるのだ。途中から悪路になるしで、4躯でないととても登れない。
いろいろ交渉し、結局200ラリ(1万円)ということで落ち着いた。途中、アナヌリ教会にも寄ってくれるという。山路を含めて往復400km。日本人の感覚では破格である。
時間通りの翌朝8時、マルトと名乗る男は三菱パジェロに乗ってやってきた。握手を交わし、(いい天気で良かったね)と目で合図する。マルトは英語がしゃべれない。フロントの女の子は心配してくれたが、言葉なんてしゃべれなくたって構うものかと思う。ともかく出発。マルトは「GO!」と言ってエンジンをかけた。これが最初で最後の英語だった。
パジェロは高速道路を時速100kmでとばす。
日本からの払い下げなのだろう。左ハンドル以外は全部日本仕様である。計器もスイッチもナビも全部日本語。「平均速度は49km/h」「平均燃費は12.1リットル/km」「次のガソリンスタンドはあと450km」と表示されたまま止まっている。いったいなんのためにスイッチをいれているのか意味不明である。
時速はたかが90kmなのに体感速度はもっと出ている気がするのは、マルトが窓を開けたまま走っているからだ。外気はすでに30度をこえているが、車に冷房はない。風切り音とエンジン音とタイヤの音が耳を劈く。会話には向かないが、もとより会話もない。ぼくは宇宙戦艦ヤマトの主題歌を口笛で吹いた。
パジェロは元気にコーカサスの大地を走った。
マルトは(おしっこがしたくなったら言ってくれ)と、自分の股を指差していう。ぼくはOKサインでそれに答えた。答えながら(おしっこの意味だよな?)とちょっと心配になったけど。
空は青く、雲は白く、山は緑だった。
当たり前のことなのに、いちいちうれしくなった。目の前に広がる山がだんだんと高くなり、道が蛇行を繰り返すようになった。前の方をとぼとぼ歩いているのは牛だ。牛たちが道路の真ん中を歩いている。ウンコもぼとぼと落としている。 間一髪で牛はよけたが、おみやげにウンコを踏んでしまった。凄まじい臭気が車内に入ってくる。マルトはとっさに窓を閉めようとするが違うぞマルト、ここは開けないと。
▲ 牛たちの道路横断、他にロバもいれば馬もいる。羊の群れももちろん、いる
1時間ほど走ると、湖畔に立つアナヌリ教会が見えてきた。スピードを落とし、パジェロを路肩に停車させてからマルトはふうとため息をつく。ぼくは湖の美しさにため息をつく。車を降り、大きく深呼吸をした。エンジン音が消えると、世界は再び静寂を取り戻した。鳥もぴいぴい鳴いている。
教会の中はとてもひんやりしていて、しんとしていた。それは静寂じゃなく沈黙のそれだ。誰かが中で息を潜めているような気すらする。厳かで、どこか他者を拒む沈黙である。
再びパジェロは走り出す。
教会を通り過ぎるとき、マルトは胸で十字を3度、きった。グルジアのほとんどの人がそうであるように、彼もまた敬虔な正教徒なのだ。ぼくはとりあえず手を合わせた。遅かったが。
あたりは少し涼しくなった気がする。
道路脇に打ち付けてある杭に1450mとある。突然近代的なロッジが現れはじめた。冬場はスキー場になるのだろう。とてもなだらかなスロープの山々が連なっている。あの緑の絨毯の上をごろごろと転がってみたい気が一瞬する。だがあの高度。下まで何百メートルもありそうだ。とても身が持たない、と思い直した。
標高が2千メートルを超えた。
この辺りから、とたんに道が悪くなる。
穴ぼこをうまくよけながら、砂煙をあげてパジェロは滑走する。他の車もそうする。車線なんて関係ない。入り乱れたラリーレースのようだ。
穴ぼこに気を取られすぎると、崖から落ちてしまいそうになる。こんな場所なのにガードレールがないのはどうかしている。タイヤを外せば何百メートルも下に真っ逆さま、だというのに。いつのまにか仮面ライダーの主題歌を口笛で吹いている自分に気づく。もう50に近いのに、バカみたいだ。マルトは仮面ライダーを知ってか知らずか(たぶん知らない)必死にハンドルを握り、ぶつかりそうになる前の車に悪態をつく。ロシアナンバーのメルセデスが、悪路をものともせず追い抜いて行く。砂煙が車内に入り、口の中がザラザラした。
そのようにして、ようやくカズベキ村にたどり着いた。ロシアとの国境はもう目と鼻の先である。もっとも標高が5千メートル級のカズベキ峰が間に立ちはだかっているが。
4年前の2008年8月、グルジアとロシアはこの西にある南オセチアで交戦した。いわゆる「グルジア5日間戦争」である。砲弾が飛び交い、ヘリが乱舞した。爆撃機がグルジアの街に爆弾を落とし、グルジア軍がその一機を対空ミサイルで撃墜した。
のどかな風景からは想像もできないが、いまなおとてもホットな国境である。マルトと会話ができたらなあ、とはじめて思った。あのときのことをぜひ聞いてみたかったのだ。教会とはもう、なんの関係もないけど。
そこからツミンダ・サバメ教会への道のりは過酷だった。こんなに晴れているのにうっそうと茂った山の中では、残った雨やら地下水やらで水浸しのところもある。これで雨が降っていたらスリップしてとても登れないだろうと思われた。あらためて(晴れて良かったね)とマルトと目を交わす。これも神様の思し召しである。
何事か叫びマルトはぼくの肩をぐいと引き、左上を指差した。さされた山の上に黒っぽい建物が見える。
それがツミンダ・サバメ教会。
29年前、東ベルリンのライゼビューローで偶然見たポストカード。あの景色がいま、頭の上にある。タイヤのバウンドに、天井に頭をしたたか打ちつつ、20歳だった頃の自分に語りかけてみる。
悪いが「その景色」と出会えるのは29年もあとのことだ。その間、実にいろんなことがある。でもお前が考えているよりずっと世の中はまともで、あいかわらず世界は広すぎる。
突然視界が広がった。
巨大なスクリーンのようにコーカサスの山々がそびえ立ち、それをバックに三角帽子をかぶった教会が黒く映える。マルトにパジェロを停めさせて、ふらふらと車から外に出る。
あの景色が目の前に広がっていた。
何度も来るのをあきらめた場所だ。
心臓がドキドキする。
息がしづらくなる。
高い場所だからか、
感動しているからか、
もしくは泣いているからか、
自分でもよくわからない。
ここに来られてほんとうによかった。
平和はつくづくありがたい。
旅はどこまでも続く。
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