バクーに到着以来、今日で5日目になるが、ついに一人の日本人にも会っていない。日本人どころか中国人や韓国人も目にしない。少なくともぼくにその認識はない。こういうのもちょっとめずらしい。世界のどの場所に行っても日本人にあったし、うるさい中国人の団体客に辟易させられる。まるで80年代半ばに東欧を旅行したときのようだ。
時間の節約のためバクーからトビリシまでは空路を使った。鉄道だと16時間かかるところを1時間でいける。空港からホテルまではタクシーを使った。時間の節約にもなるが、そもそも鉄道が通っていないし、バスは本数が少ない。ホテルへ横付してくれることもない。
タクシーの運転手のほとんどは英語を話さない。だけど言いたいことは伝わるし、伝わってくる。トビリシ空港からのタクシーの運転手はとても陽気で、「日本から来た」というと「柔道が好きで山下選手のファンなんだ」と返す。それからいきなり「ホンシュー、ホカイドウ、チュウキュー、シコク」と一本ずつ指を折り曲げながらいう。微妙に違うがびっくりだ。それからもっと驚いたのが「クリムもだ」と言ってきたこと。クリム諸島とは、ロシア人のいう日本の北方領土のことである。「あれはロシアのじゃない、日本のもの。グルジア人、思ってる」と。
いったいこの広い世界のどこの人間が、初めて会う日本人に「北方領土は日本のものだよ」と言うだろうか?
空港からまっすぐ伸びる道路は「プレジデント・ブッシュ・ロード」という。アメリカ人だってそんな名前つけたがらないだろうけど、グルジアの首都にはそんな名前もアリだ。2008年のグルジア戦争のときに貸しができたから。「アメリカ人をどう思う?」と聞けば、運転手はd顔をゆがめ「アメリカ人、おカネで、領土奪う」「ロシア人、兵器で、領土奪う」と回答した。なるほど。
これらの会話はロシア語、スペイン語、それから片言の英語で行われた。ぼくはロシア語もスペイン語もろくに話せないが、それでもグルジア語で挨拶を教えてもらった。マドロブ(ありがとう)、ガマルジョバ(元気?)、ホワンディス(さよなら)。マドロブのアタマに「ディディ」をつければ(どうもありがとうございます)になるとも。陽気な男だった。これだけでぼくのグルジア人の印象がとてもよくなる。
2008年のグルジア紛争(南オセチア戦争)は、いまだにどちらがおっぱじめた戦争かよくわからない。だが明らかなのは、ロシア軍に加え、オセチア人やアブハジア人などの民兵、コサックの傭兵などもグルジア領にまで攻め入り、そこで市民を虐殺したり建物を破壊したりした。ロシア軍による空爆があり、戦車による蹂躙があった。多くの人が亡くなり、住居を奪われた。グルジア軍道を移動途中、そんな住民たちが避難している仮設住宅がずらりとあったのが見えた。
■ 映画『5デイズ(グルジア紛争)』より
▲ グルジアの街を占拠するロシア軍とオセチア民兵
▲ ゴリの市庁舎、戦争当時はスターリンの銅像があった(現在は撤去されてスターリン博物館へ)
▲ グルジアの村を襲うロシア軍ヘリ
その被害を受けた都市のひとつ、トビリシから70km西にあるゴリへ行くことにした。例によって、時間節約のためタクシーをチャーターする(40ラリ=2000円)。だがこのタクシーの運転手が問題ありだったのだ。
▲ ゴリ駅にはここで生まれたスターリンが像として残してある
▲ 映画でも登場した市庁舎(スターリン像はこの広場にあった)
▲ ゴリで知り合ったグルジア時の兵士たち、向かって左端の兵はロシア戦に参加したという。みんな顔が小さいね。ていうかぼくがデカイだけかな?
市街地を運転している間はそうでもなかったのだが、高速道路へ出たとたん、どうも様子がおかしい。おかしな車線変更をするし、中央分離帯をまたいだまま走る。周りの車からクラクションを鳴らされ、2度ほど相手の車にぶつかりそうになった。
もういい、じゅうぶんだ!
ぼくは運転手の肩をつかみ、高速道路の路肩に車を停めるよう合図する。何年この商売をやっているのか知らないが、高速道路での運転がまるでなっていない。まるで免許をとったばかりのシロウトのようである。
ぼくは車を降り、反対側へ歩いていき、運転手に助手席に移るよう指で合図した。運転手ははじめこそ意外そうな顔をしたが、さすがにさっきの接触ミスで肝を冷やしたからか、すごすごと隣へ移っていった。そして彼が座っていたシートには、代わりにぼくが座った。
免許不携帯で捕まる恐れはあったが、命を落としたり、障害者になるよりましだ。アウトバーンは12年ぶりだが、車はかつて運転したこともあるメルセデスの同じ車種である。なんとかなるだろう。
まず、深呼吸をひとつ。それからシートの調整をし、ペダルの具合を確かめた。ハンドルの遊び部分を確認し、キーを回しエンジンをかける。サイドブレーキをリリースし、ウインカーをいれ、十分加速をつけてからレーンにはいる。マニュアルシフトだともっと加速できるのにと思う。しばらく運転していなかったが、身体はじゅうぶん憶えていた。ゴリまで58kmという表示板が見えた。もっとスピードをあげたかったが、免許不携帯の身だ。100km/hを超えないようアクセルを調節する。
ちらりと助手席の運転手を見る。そして彼の膝をポンポンと叩き、親指を突き出す。(大丈夫だから)と。運転手は少し微笑んだ(ような気がした)。左前のタイヤの具合があまり良くない。たぶん空気圧が低いのだ。サイズの合わない靴下を履いているような感覚がある。
そのようにしてぼくは、1時間ほど、グルジアのタクシーの運転手になった。久しぶりのアウトバーンはとても気持ちが良かったが奇妙な気分である。わざわざお金を払って自分で自分を運ぶのだから。それも60km先まで。
まあ旅なんて、いろんなことが起こるのだ。
いちいち驚いていたら、それこそ身が持たない。
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