「コーカサス三国」になじみある日本人は少ないと思う。
まず現地在留邦人が極端に少ないし、彼の国からの在日外国人はもっと少ない。ガイドブックの類がほとんどないし、ニュースにもほとんどならない。教科書に登場することも滅多にない。
ぼく自身20歳まではそんな国があることすら知らなかった。深い渓谷と山の頂上にある教会、ソビエト連邦(当時)にある共和国、知っていることといえばそのくらいである(あの教会がグルジアにある、というを知ったのはだいぶあとのことだ)。
ややこしい民族問題を抱え、敵対もしている。アゼルバイジャンやグルジアには、国土の中に「未承認国家」という他民族が勝手に作った共和国が存在する。ナゴルノ・カラバフやアブハジア、南オセチアなどだ。そこでは毎日のように小競り合いがあり、死傷者も出ている。「未承認国家」らはロシアから武器や軍事教練を受けているから、なかなかタフである。そのうち大掛かりな戦争になったのが2008年のグルジア紛争(南オセチア戦争)である。ロシアと中東の間にあり、資源もあることから国際政治の利害に関与を受けやすい。
■ ロシアとコーカサス三国の関係性
交通の便も悪い。
鉄道は主な都市間ですら一日2往復しかないし、山岳地帯ということで100km移動するだけで2時間以上かかる。空路はわずか。となれば移動のほとんどは車。マルシュルートカと呼ばれるミニバスがある。だが人が集まらないと発車しないし、何時間も狭い車内にギュウギュウに押し込められているのは、なかなか忍耐力もいる。そこでぼくは陸路のほとんどでタクシーをチャーターした。200km移動するのに、渋谷から自宅ほどの料金しかかからない。
そのうえ日本からの直行便はなく、ビザも必要であることも日本からの訪問を遠ざける理由だろう。
だが今回訪れてみて、後悔したかといえば、とんでもない!
ものすごく良かったのだ。街は美しく、料理は美味く、治安はよく、人々は親切で感じがよかった。「日本」への印象もいい。3カ国、総じてどこもそうだった。生命の危険を感じたこともあったが、それは崖っぷちを走ったり運転手の技量の問題によるもので、街なかではない。スリにも遭わなかったし、暴動に巻き込まれるようなこともなかった。これはもうローマやロンドンよりはずっと安全なのではないかと個人的には思う。
アルメニアについて少し書く。
ここへは夜行列車で入った。国境の検問は厳しく、かつてのソ連やルーマニアを思わせるものがある。ビザは発給後、別の場所でもう一度検査を受けさせられた。陽気なイタリア人でさえ泣きそうな顔をしていた。パスポートを1ページずつていねいにめくり、過去に行った国のビザまでチェックされた。アゼルバイジャンのビザがあるのも気に入らなかったようだ。見つめられすぎてパスポートに穴が空くんじゃないかと思ったほどである。出国もいちいち指紋をとられた。これはいまのロシアよりも厳しい。
首都エレバンは、まるでモスクワかサンクトペテルブルクを思わせるような大きな建物が通りに面している。歩道も車道もゆったりで、とても歩きやすい。路面もグルジアの都市のような凸凹は少ない。そしてなによりも清潔だ。街のあちこちに噴水があり、花が飾られ、水飲み場がある。生水がほとんど飲めない中東・ヨーロッパにあってこれは画期的である。
▲ 国立歴史博物館前の噴水
▲ 夕方になると、噴水の前に多くの市民が集まっておしゃべりしたり、愛をささやいたりしています
▲ 街のあちこちに水飲み場があって、みんな通りがかりに飲んでます。冷たくてカルキ臭もなく美味しかったです
アルメニアは他の二国と違って資源のない「もたざる国」である。コニャックやあんずなどの果物生産以外、特に産業が発達している感じもない。それでいてグルジアよりひとりあたりGDPは高い。街には24時間営業のスーパーや飲食店、薬局などもある。いったい何で潤っているのだろう。在米アルメニア人からの仕送りもあると聞くには聞くけど。
▲ アルメニア女性は美人が多いことでも(一部)有名です
半日ほどガイドをお願いしたアレヴィックさんは1988年生まれの女の子。ふだんは学生であり赤十字でボランティアをしている。生計は夜遅くまでパブで働いて得ているというなかなかの頑張り屋さんだ。
1988年といえば日本はバブル真っ盛りだが、アルメニアでは大地震があった年である。2万5千人もの人たちが亡くなり、50万人が家を失った。アルメニアはトルコや日本と同じ地震多発国なのだ。
しかも電力は原子力発電に頼っている国である。首都から遠くない場所にある原発でも事故が心配されたが、これは安全基準通り正常稼働していた。にもかかわらず作業員が逃げ出して、大惨事になるところだったのだ。1986年のチェルノブイリ原発事故からそれほど時を経ていなかったこともあり、原発は停止すべきだと他のヨーロッパや国内から声が上がり、停止計画が進められた(もちろん急に止めたりはしないが)。このあたりは、いまの日本とよく似ている。
原発を止めれば電気も止まる。水道も止まったわ。
とエレヴィックさんは言う。
それで家族全員でウクライナのハリコフに引っ越したの。
このように、多くのアルメニア人がロシアやウクライナなどの周辺国へと避難していった。原発がダメなら火力発電があるじゃないか、と日本人なら思う。だがアルメニアの国境ラインの8割は敵対しているアゼルバイジャンとトルコであり、イランとの国境はアゼルバイジャンの飛び地がジャマをしていて、パイプラインが敷けない。親交の深いロシアから直接石油パイプラインを引きたいところだが、その間にはグルジアがある。グルジアとロシアは交戦、あるいは冷戦状態で、安全にパイプラインなど引ける状態ではなかった。
「金持ちの国だけが原発閉鎖の議論ができる」
とはウクライナのアザコフ首相の発言だ。だから資源を満足に買えない国は、自国で発電をまかなえる原発に依存する。チェルノブイリ原発の4号炉に事故があってからも、同じチェルノブイリ原発にある他の原子炉を稼働し続けたウクライナ。活断層の上にある原発を止められないアルメニア。どちらも夏は猛暑で、冬は凍えるほど寒い。電力不足で冬に子供たちを凍死させる位なら、たとえ放射能が漏れてもそのほうがマシという選択である。
アレビックさんは言う。
大地震が起こったとき、宿敵アゼルバイジャンから「地震、おめでとう!」という書かれた列車が到着したの。ひどいでしょ? 3.11のとき 中国からそんな飛行機が日本に飛んできたらどんな気がする?
たしかにひどい。とぼくは認めた。
アゼルバイジャンとの国境は封鎖され、いまは列車はおろか飛行機も車も移動できない。ぼくの旅程もこのへんの事情から、あまり気ままに変更できなかった。
もちろんアゼルバイジャンには良識のある人達も多い。「困っているときは助けあおう」と大勢の人が献血に参加し、アルメニアに送られた。けれども「アゼルバイジャン人の血を入れるくらいなら死んだほうがマシだ」とアルメニア側はこれを拒否。良識派アゼルバイジャン人を激昂させた。
つくづく救いのない話である。
民族問題はかくも深い。それから宗教も。
グルジアと違ってほとんどが同国民族で占められるアルメニアでは、アルメニア正教こそが宗教であり、アゼルバイジャンのようなモスリムは受け入れがたいのだ。純血主義にとらわれ排他的なのだ。なんだかイスラエルのユダヤ人に似ていなくもない。
訪れた三国の中でもっとも物価が安く感じられたアルメニア。大通りに面した綺麗なカフェはビールが1杯百円で飲めるし、市内から空港までは近くないが、タクシー代は600円しかかからない。
一般の人達はどのくらい給料をもらってるの?
試しにアレビックさんに聞いてみる。
若い人なら8万ドラム(1.6万円)くらいね。あなたくらいの歳なら20万ドラムかしらね(あとで聞いたらぼくは32歳くらいだと思ってたらしい)、銀行とかで管理職をしている親戚は40万ドラムももらっているって言ってたわ。
それでも8万円くらいである。これは上海に住む中国人より安いのではないか?とすれば、可処分所得は平均的日本人の10分の1といったくらいだろうか。つまり、あのビールは一杯1000円であり、タクシー代は6000円なのだ。これでは庶民の生活になじまない。
エレバンで働く人の半分は郊外に住んでいる。
市内でアパートを借りれば1.2万円くらいするが、郊外なら家を建てても200万円程度だという。そんな話を聞くたびに、2千万円出して日本に一軒家を建てるより、200万円の家を世界中10箇所に建てるほうがいいんじゃないかと思う。そして好きな期間に好きな場所で、自由に仕事をしたり生活をしたりするのだ。
■ エレバンまちかど散策 (写真はクリックで拡大します)
▲ 噴水の前にはベンチ。コーカサスは3国とも街のあちこちにベンチがあって街歩きで疲れた足を休まさせてくれました。
▲ 比較的新しいアルメニア正教会。みんなお祈りに通います。
▲ アイスを舐めてたら警官がジロッとにらみます。ダメなのか、舐めちゃ。それより隣の腹はあれでいいのか? とはいえ写真とったあとはにっこり微笑んでくれましたが。
▲ どうもぼくはアールデコなものをみると反応してしまうようです。これはベランダ部分ね。
▲ 24時間営業のショップの店員さん。朝は眠いね。寝ちゃったね。
▲ 閉店後の朝一番のオープンカフェ。鍵もチェーンもかかってないけど、誰もイスや壁掛けテレビを盗んだりはしません。治安が良い証拠。
▲ 朝方のオペラ座と前にはカフェ。緑が眩しくてつい。
▲ 何気ない店先のこんなアールデコ調の階段がステキです。
▲ 信号は秒数を表示。渡るタイミングがわかって便利。でもつい早足になっちゃうね。これはグルジアやアゼルバイジャンも同じシステムでした。
▲ ロシアからの車。アルメニアはコーカサスの中は唯一、親ロシア派が多い。
▲ アパートの入口に貼ってある張り紙。勝手に「ロック」を感じてしまいます。
▲ 公園で一緒に乗り物とかで遊んだ野郎たちです。みんなそろって顔が濃いね。
▲ 飾り建築資材の作業場。見れ、この割れた腹筋を!建材をぼくも少しだけ彫らせてもらいました。センスいい!てほめられたけど、もちろんお世辞です。顔もひげもやっぱり濃いね。
また9月からノースアイランドで赤十字のボランティアに行くの。英語の勉強にもなるし、多くの人から刺激を受ける。とてもやりがいがあるのよ。それまでに稼いでおかないと。ねえ、いま働いているパブ、店長がちょっと変わってて頭がサムライみたいなのよ。 と笑う。どんな頭なのかぼくも見てみたい。
ガイドをしてもらったあと、ぼくは彼女に遅い昼食をごちそうした。エレバンでまともな郷土料理を食べさせてくれるおすすめのレストラン。ビールを頼み、前菜とスープとサラダ、それから葡萄の葉で包んだひき肉料理、トルマをそれぞれ注文した。それで二人分で1000円くらいである。
「アルメニアでは1000円でも、日本なら1万円」と会計をしながらひとりごちる。現地の人の感覚で、ちゃんと値段を噛みしめておくのだ。その価値は十分あってとても美味しい。
それがこの旅で、最後のまともな食事だった。
さようならアルメニア。
さようならコーカサスのステキなひとたち。
■ ベストホテル
この旅で泊まったホテルでもっともよかったのが、トビリシの”Hotel City” 。教会の目の前にあり、繁華街にも近い。なによりもこのホテルのスタッフの人達がとても親切で、色々と教えてくれたり旅の手伝いをしてくれました。なにしろ美人だし。
ホテルシティ公式サイト
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追伸:写真は(こんどこそ)クリックすると大きくなります。やっぱりこのくらい大きいとディテールがわかりやすいですね。旅日記はこれでおしまいです。道中、応援コメントと応援メールがとても励みになりました。ほんとうにありがとうございます。
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