野田首相が韓国の李大統領に宛てた親書が、受け取りを拒否され突き返されたというニュースに憤慨した日本人は多い。突き返した理由はなんと、文書に韓国名の「独島」でなく「竹島」と書かれていたからというものだ。「中身読んでるじゃねえか!」というツッコミはともかく、外交儀礼にあるまじき行為。当然他国に例を見ない。戦争直前の日米にだって、そんなことはなかった。だがまてよ。過去にもあったような気がする。既視感がある。
ときに明治元年(1868年)のこと。
明治新政府は、新政権が誕生したことを知らせる国書を当時の李氏朝鮮政府に送った。ところが朝鮮側はこれを拒否、日本に突き返したのだった。そう、やはりあったのだ。しかも相手はおなじく朝鮮(韓国)。もしかしたら彼らの伝統なのかもしれない。
当時の朝鮮は鎖国政策を敷いており、日本とはかろうじて対馬藩の宗氏を通じて外交や貿易が行われていた。そこで国書。内容は、外交窓口を対馬藩から日本政府に替えるからよろしく、という通達だ。藩をなくし県に置き換える行政改革、廃藩置県はこの3年後である。
だが朝鮮側はこれにクレームをつける。理由は内容じゃない。「皇」と「勅」という2つの漢字が文書内で使われていたこと。この漢字は中国皇帝のみが使うことを許されているとし、身分の低い倭王(朝鮮は天皇のことをそう呼んでいた)が使うべきでないというのだ。ひるまず日本政府は再び国書を送る。再び朝鮮が突き返す。また送る。また突き返す。そのうち朝鮮側は対馬の倭館(大使館の役目をはたしていた)に食料を搬入しないなど、嫌がらせをしはじめる。世界唯一の大国は中国で、我らが朝鮮はその一番弟子。日本などは化外の地。という認識が、態度を尊大にさせたのだろう。
日本はこれに態度を硬化。「非礼だ」と声があがり、やがて「朝鮮を征伐しよう」となる。いわゆる征韓論である。中心人物はあの西郷隆盛、板垣退助らがいた。これが高じて江華島事件。太政大臣、外務大臣を乗せた軍艦2隻を派遣したところ、朝鮮・江華島から砲撃を受け、反撃に転じた日本陸戦隊が上陸し、島を占領するという事件だ。翌年、日朝修好条規が締結(1876年)。かたくなに鎖国していた朝鮮を日本は威圧し、開国させた。かつて米国にされたことを、日本は朝鮮にしたのだ。
こんなふうに過去のことを書きながら、だんだん未来のことを書いているんじゃないかという気になってくる。公文書突き返し。クレームは「漢字」について。天皇陛下への非礼。そして島の再上陸。デジャブである。19世紀末時点の眠れる朝鮮(韓国)は、ここから激動の時代に突入する。否が応でもなく、列強の領土資源強奪戦に「被当事者」として組み込まれていく。自分たちより格下だと思っていた日本が、いつのまにか列強になっていて、自分たちを併合し、数十年後には宗主国にまでなった。統治時代、朝鮮半島はインフラが整い、制度も近代的になった。餓死から開放され、豊かな民衆も増えた。
だが失われたものがある。
プライドだ。
これがいまに続く反日パワーの源泉である。
竹島に寄せる思いは複雑だ。
あれはどう客観的に判断しても日本の領土だが、50年も実効支配している韓国からしてみれば「なにをいまさら」という感がわからないでもない。おまけに144年前のあのきっかけをして、日本人は自分たちを支配することになったのだと学べば、反省もするだろうが、同じことをされないよういっそう頑なになるかもしれない。
なにしろ歴史は常に学ぶ側の解釈にゆだねられるのだ。
それゆえ真実とはまた別の文脈にある。
李大統領の竹島訪問。当の韓国ではどう評価されたのか気になるところだ。日本のメディアは「韓国では大いに支持され、支持率も6%アップした」と報道していた。だが実情はビミョーである。まず李大統領の正当であるセヌリ党を支持している保守系の「朝鮮日報」は【評価する66.8%、評価しない18.4%】だが、中道保守の「中央日報」は【評価する:9.4%、評価しない81.5%】であり、圧倒的に評価されていないことがわかる。また左派系「ハンギョレ」に至っては、「戦略的に性急で、時期的に唐突、政府の対日政策の基調からも外れている」と真向から批判している。政権末期になると恒例になった「反日行動で支持力を回復させる」神通力も失われつつあるということかもしれない。
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