写真を撮るのが好きである。
もちろん好きなだけでうまくはない。
うまく撮れるとやっぱりうれしい。
それがカメラの性能のおかげであったとしても。
中学1年生の時、オトンから譲り受けた中古のペンタックスがぼくにとっての初めてのカメラ。プロ・カメラマン志望だったオトンの影響もあって、小さなころから「すべからく男はカメラを持ち写真を撮るのだ」という義務感のようなものがあった。当時、デジカメはもちろん、オートフォーカス機能など便利なカメラはなく、ピンぼけしないで写真を撮ることが自分に課せられた最初の壁。それにしても才能の無さにはつくづく泣かされた。高いフィルムをなけなしのお小遣いから買い、現像してみるとぜんぶピンぼけだったということもある。
そんなこともあり「写真は難しく、ひどくお金がかかる」というのが実感で、気の毒なペンタックスは勉強机のすみでほこりをかぶることになった。キャノンからオートボーイという全自動でピントも露光も合わせてくれるカメラが出たのは少し後のことだが、オトンは「あんなカメラに頼ってちゃダメだ」とにべもない。露光も絞りもシャッタースピードもピント合わせも、全部自分でやるからこそ写真が何たるかわかるのだ、と。
写真の何たるかをわかりたいんじゃない。と思う。
きれいな写真を撮りたいだけなのだ。好きな人を、自然を、ペットを、思い出を。誰もがカンタンに思いどおりの写真が撮れるよう、がんばらなくちゃいけないのはカメラのほうで、人じゃない。写真はマニアのためだけのものではない。と、青臭く思っていた。
生まれてはじめて自分で買ったカメラはC-AFというオリンパス初の自動焦点カメラ。高校3年のとき、毎週日曜日に動物園でのバイト代(時給450円)を貯めて買った。うれしくて動物園に持って行き、みんなに見せた。働きながら、どの動物をどういうアングルで撮るかぜんぶの頭の中に叩き込んでいたが、実際撮ってみればとんでもなくビミョーであった。それでも、ぼくに撮る喜びを教えてくれた記念すべきカメラである。
▲ ぼくがはじめて買ったカメラ(オリンパス初のオートフォーカスカメラ C-AF)
買って2ヵ月後、こんどはこいつとロンドンへ家出をした。旅ではなく。わざわざパスポートを取って家出をするなんてバカげている、と今なら思う。親にも祖母にもずいぶん心配をかけた。でも当時のぼくにはそれが必要だったし、あの頃のロンドンは今よりずっと荒れていた。おまけにどこへ行っても珍しがられた。自動焦点カメラも、へんてこなパンク姿の東洋人も。
ある日公園で、20代なかばのカップルとすれ違う。
印象的だったのは一眼レフの大きなカメラ、それが男のほうではなく、サイズ違いのネックレスのように女の子の首からぶら下がっている。機械が苦手という女性は多いが、美しいものへの感性は女性のほうが強い。その意味で、この光景は人間の感性に機械のほうから寄り添っていることをまさに象徴している。もっときれいな写真が撮りたいと思えば、そこではじめて露光だの絞りだのを学べばいいのだ。すばらしい!値段も手頃になった。ぼくはバイトで100時間働いてようやく1台買えたが、いまなら一般的に10時間も働けばもっと良いカメラが買える。
写真を撮るにせよなんにせよ
とてもいい世の中になったと思う。
とつぜんですが・・
こんにちぽー!
最近のコメント