iPad mini の発表後、
周囲の人から「買うんでしょ?」「したんでしょ?予約」と声がかかる。そういって、ぼくが握っているiPhone 5にちらりと視線をむけるのだ。「Appleだったらなんでも買うんでしょ?」と言わんばかりに。
こんどこそ買わない。
買うもんか、と思う。お金もないし、AmazonのKindle (電子書籍リーダー) を予約しちゃったから。一番安いやつ。ホワイトペーパーというモデルだ。
2009年、最初のiPadを予約したとき「いよいよ本は電子で読む時代だ」と興奮したものだ。「電子書籍元年」などと揶揄され、業界も含めてざわざわとどよめいていた。出版社に代わって本屋へ書籍を卸している「取次」や「印刷会社」あたりは、牙城を崩されてたまるかと対抗意識満々である一方で、「やばいかも?」と自分たちで電子出版サービスを始めたりもした。
電子出版サービス。
じゃあ普及したか? といえば実はそうでもない。
理由はいろいろあるのだろう。本屋で1000円で売られていた書籍が、アプリでは85円で買えるのはありがたい。かさばらないし、全文検索も出来る。でも「かたっぱしから」というほど、ぼくは電子書籍を買っていない。月に20冊は本を読むが、大半は紙の本である。理由は、目が疲れるからだ。iPadで1時間も読めば、立ち上がったときにふらっとする。
目が疲れない電子書籍リーダーを求めて、発売したばかりの楽天のKoboを買った。だが届いてみると、手を触れた瞬間「これじゃない」気がした。しかも初期不良。いろいろ問い合わせたが、サポートもひどかったし返品してしまった(返品するのもたいへんだった)。普通の通販でのサポートに慣れてたので、目が肥えちゃったのかもしれない。
Kindleはぼくが心待ちにしていた製品だ。
ホワイトペーパーモデルは目が疲れなさそうだし、軽くて電源のもちがいい。それ以上に書籍ラインナップがわりあい充実している。オープンしたばかりのKindleストアを見れば、読みたい書籍がびしっと並んでいる。そのどれもが、いま本屋で並んでいる現役の書籍である。しかも数百円ずつ安い。これまでみたどの電子書籍サイトより充実している感じだ。さすがはAmazon。機が熟すまで日本市場は、3年待っただけのことはある。
それにしても、この手のサービスはどうして「米国製」であり、日本製でないのだろうかと、いつもそこが気になる。既得権益を守るため、新規参入させまいとガチガチに規制をかける人達がいる。こと著作権関係者には多い。著者そのものというより、そのとりまき。とりまきたちは著者のサポーターとしてありがたい存在でもあるが、同時に、自分たちの利を損なうことのないよう規制を作っている。これが著者のためにも利用者のためにもなっていないことが問題だ。
これをぶち壊したのが、音楽でアップル、出版物ではアマゾンといえる。よく「日本人のことは日本人が一番良く分かっている」などと言う。そんな気もするし、ぜんぜんしない気もする。それは奢りのようであり、それこそ別の意味で既得権益かもしれない。
電子書籍は装丁がいらない。
出版社もいらないし、そのぶん価格自由度が高い。彼らが開けてくれた風穴を享受できるのは、読者である買い手だけではない。売り手もまたそうだ。自分でこしらえたものを用意されたパッケージに放りこむだけで、あとは別の人が売り、管理してくれ、儲けを口座に振りこんでくれる。従来のやり方では「だれでも」というわけにはいかった分野である。ぼくは作家や音楽家など、どこでも活動できる人たちがうらやましい。だけど、それで食べていくには並大抵の運と才能では実現できない厳しい世界である。だからせめて実力以外の、いろんな阻害要因とは距離を置きたいところだ。アップストアやキンドルストアは、そんな場所にある。
こんなふうにまたひとつ「世界中どこに住んでいても、いくつになっても働ける世の中」の裾野が広がったことが、ぼくにはやっぱりうれしい。
ともすれば閉塞感に生きが詰まりそうな毎日。
でも、首を伸ばし、少しまわりを見渡せば
いろんなことに挑戦しやすくなった世もある。
だのに挑戦をサボりがちな
ここ数年の自分に「喝!」です。
あしたからまたとおくへいっちゃうんだね。
そしてぼくは、とほうにくれる
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