会社を辞めて9ヶ月が経とうとしている。
今でも時折「さぞ生活が苦しいんでしょう?」と同情なども寄せられる。こういう会社がある、いい年なんだから入社してみないか?というまるで見合い話のようなメールが来る。世の中の50を過ぎたおっさんは、生活のため、石にかじりついてでも会社にとどまるんだ。と、友人のひとりは気を揉む。オマエは甘いよ。世間をナメている。バカなことをしたもんさ。自ら辞めるなんて信じられないよ! そんなリスクを背負っていったいオマエは何をしているんだ!と、ぼくを叱る。
もちろん、生活を苦しくさせるために会社を辞めたりなんかしない。リスクをいうなら、会社に勤め、収入がたったひとつしかないほうがよっぽどリスクである。助言をしてくれる友人の年収は800万。多いほうかもしれないが、それでも将来、年金だけじゃ辛かろうと思う。これから加速する日本の少子高齢化をナメてはいけない。官僚だって計算ミスをする。故意かもしれないが。
年金だけで悠々自適は、もう日本では無理である。
その年金だけであえてやろうと思えば、環境を、マインドを、住む国を変える必要がある。日本を出てしばらく外国で暮らす。年金だけでもいいが、どこにいてもパソコン一台で稼ぐ手段もおまけにつければさらに安心だ。こうした人びとをサポートをする事業、ぼくが目指し、着手しているのはそれである。たしかに毎月のように旅ばかりしているが、調査だって兼ねている。今月はまたタイにいこうと思う。来月はラオス、その後も出たり入ったり、する。壁一面に貼られた年間カレンダーは、すでに多くの書き込みがある。
独立したのは今回が3回めである。
2度やればじゅうぶんだが、3度めなんだからもう、銀行や投資家たちに頼らないでやろうと思った。それで会社を辞めてからは資産づくりに奔走した。借入はしない。貯金や投資信託を使い果たし、財布まではたいて思いつく限りかたっぱしから投資に回した。世間からみれば、ぼくの行動は異常に見えるかもしれない。職を辞したとたん、こんどは残高ゼロになるまで貯金をはたくのだから。友人に叱られて当然である。
案の定、資金繰りには肝を冷やされた。ちょうどキューバを旅していたころ。自分にしては大きな商いがあった。大量にネットで物を輸入し、国内で売りさばいていた頃である。当然、タイミングよく各国プレーヤーと連絡を取る必要があった。自分がそこに居ないぶん、リモート操作で人の手を借りる必要があった。それなのにぼくは、よりによってネット繋がりにくいキューバでふらふらしていたのである(別にふらふらしてないけど)。旅はほんとうに楽しかったが、内心ヒヤヒヤものだった。まったくのところ自殺行為だったのだ。
会社を辞めるときに交わした、自分との密かな約束。
同じ年の12月(つまり今月)までに、単月で前職の給料を上回る収入を得られていること。それが最初のミッションである。これはなんとか11月で果たすことができた。次は、辞めた月(つまり2017年3月)までにそれを2倍にする。これも果たせるんじゃないかと思う。このペースで倍増していけば2018年には、銀行やエンジェルから資金を乞うことなく、めざす事業が起ち上げられると思う。
目標は、ないよりあったほうがいい。
いい歳して会社を辞めたら路頭に迷うだけ。
友人の助言通り、世間にはそう思う人があまりにも多い。実際のところ、路頭に迷ったりもするのだろう。迷えるのなら迷えばいいとすら思う。それを避けようとするあまり、足元を見られ、理不尽に使われているサラリーマンのなんと多いことか。職を失うことは収入がなくなるだけじゃない。社会的存在価値も失うんだ。と前述の友人はいう。思うが、それは間違いだ。
社会的存在価値は、自ら生み出すもので会社がくれるもんじゃない。そもそも会社とはなんなのか? 一度思いを巡らすべきだと思う。
ノーベル賞経済学者のロナルド・コースは「会社が存在するのは取引コストを効率化するためだ」という。納得だ。買うひと、売るひと、商品を作るひと、台帳を作る人、それぞれ独立しているより会社の中でやり取りするほうが低コストで効率がいい。外にあるといちいち発注コストが高くつく。だがそのために、ひとを管理するひと、ガバナンスを管理するひとまで必要になった。効率化からヒエラルキーを奉り、指揮系統が必要だ。それでもなおコストが安いのであれば、会社は存在する意味がある。
だが残念なことに、こうした本質を忘れて、オーバーヘッドばかりが大きくなってしまった会社があるのにおどろく。しかも頭を護って手足を削ぐ。まるで火星人のような体型だが、地球の引力じゃ歩くどころか立っているのが精一杯だ。まして、それで社会的存在価値があるかどうかは、ビミョーなところである。そこで社員として働いているとしよう。だからといって何のための社会的価値か? ぼくなどは思う。満員電車で揉まれながら失うのは、時間という命である。
酔っていたこともあって、
そのように友人にまくし立てた。
申しわけない。でも、本音だ。
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