子どもにせよ、部下にせよ、友人にせよ
相手を正したり、やめさせたり、向上させるためにとぼくたちは叱ったり、アドバイスをしたり、ときには脅したりする。
だけどそれでうまくいった試しは、あまりないのではないか?それどころか逆恨みされ事態を前より悪化させただけ、なんてことになりはしなかったか。
なぜか?
相手は、なにも考えずそうしたわけではない。自分がこれまでやってきた基本原理に従い、与えられた役割を果たそうとしただけである。にもかかわらず、あなたから新たに非難されたと受け取れば、相手はあなたを失望させたと考える。そのことで相手は、あなたが下したもっとも低い評価を反映する行動をとってしまうのだ。
イギリスの政治家、ウィンストンチャーチルはこう言い残している。
相手に美徳を身につけさせる最高の方法は、相手にその美徳を期待することだ
つまりこういうことである。あなたを信頼していることを相手に知らせば、相手は自分が信頼に値する人物であることを証明しようと努める。自分に置き換えて考えてもらえばわかると思う。あなたも同じように、期待に応えようとしないだろうか?
思想家のラルフ・W・エマーソンが似たようなこといっている。
相手を心から信頼すれば、誠意を尽くしてくれる
ある日、電車の中で子どもを叱りつける母親の声がする。
「どうしてそうやってぐずるの!」「ママをイライラさせないで!」「ほらもうすぐ降りるんだからちゃんとして!」声のする方へ目を向けると、声の主である母親とその子どもがいた。子どもは、母親を、頑として受けつけないようすである。からだをよじり、そっぽを向き、なにやらぶつぶついっている。子どもからすれば、自分が母親を失望させていると自覚し、与えられた低い評価の役割を演じているのだ。そして、電車を乗り換えても演じ続けるにちがいない。そのようすをみながら他の乗客は、気のないそぶりで母親に同情し、同時に彼女の金切り声にイライラさせられていた。母親としては浮かばれない話である。そのうえ急停車にうっかり他の人の足を踏んでしまい、さらにひんしゅくを買っていた。
ぼくたちは、すべての人に対して同じ人物ではない。
完全な善人でもなければ、完全な悪人でもない。さまざまな性格を併せ持っていて、それぞれの側面を相手に見せている。言い換えれば、あなたが期待する性格をわざわざ相手から引きだしている。
だから、誰かがAさんのことを「性格がひねくれていて、いつも他人を批判してばかりしている」というからといって、そのような先入観をもって接すれば間違いなくAさんは「性格がひねくれて他人を批判してばかりいる側面」をあなたにみせる。なにしろそれを引き出してみせたのは、他ならぬあなた自身であるからだ。
あなたの期待するAさんが「性格がまっすぐで、他人の良い面をとらえて評価する人」なら、Aさんはその期待に応えようとしたかもしれない。なぜなら、だれもが相手に応じた役割を演じたがっているからだ。
ぼくたちはただ
それを指し示せばいいだけなのではないか?
と、最近になって思うようになった。
相手はあなたの行動と態度を反映してみせる。
まるで鏡のように。
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