子供の心を持ちつづけるひと
といえば聞こえはいいけど、中には「傷つきたくないから子供のままでいる」ような人がいる。恥ずかしながら自分がそうだったかもしれないし、そのせいか、そのようなたくさんの「大人子ども」に囲まれて苦しんだ経験もある。この経験、日本国外で暮らしていたときにしたことがなかった。これは日本人の特性なんだろうか?
実力もないのにプライドが高いひとたち
負けることや人に傷つけられることを極端に恐れる。自分が否定されたりするとひどく落ち込んだり、あるいは逆ギレしたりする。仕事場で、または飲みの席で、そんな人に出くわし、ぼくはおどろいた。いったいどんな人のことか? こんなひとのことだ。
たいした実力も才能もないのにプライドだけは高い
キツイ言いかたかもしれないけれど、あなたもそのひとりかもしれない。あなたは世の中は理不尽だと思っている。自分は才能があるのに、まだ実力を発揮していないだけなのだ。そんな自分の能力をろくに引き出せずにいる上司が悪い。管理職に向いていないのではないか? そんな上司を放置する経営者がろくなもんじゃない。と、まるで自分が被害者のように思っている。だから逆ギレだってOKだ。自分は悪くないのだから。
逆ギレの正体は、幼児性である。
自分が傷つけられる前に、先に相手を傷つける。無意識にやっている場合もあるが、巧妙に相手にダメージが大きくなるよう仕向けたりもする。持ち上げといて落としたり、誰かに代わりに言ってもらうなど、をする。では
他人に認めてもらえない実力とはなにか?
まだ本気を出していない実力とはなにか?
この世にないものだ。
そう、ほんとうに無いのだ。
かつて、泣けばなだめてくれる親がいた。傷つけばやさしい言葉をかけてくれもした。大人になってからはそんな親はいない。いたらそれこそ親が悪い。世の中に揉まれ、失敗や挫折を繰り返しながら、子どもは大人になっていく。競争があり、切磋琢磨があり、裏切りがあり、また支え合う。夢中になっていると気がつかないかもしれないけれど、実は心身ともに相当なダメージを受ける。その上でついた能力が実力である。
傷つくのを避けるから大人になれない
傷つくのを恐れる人は、前項のようなダメージを避けようとする。うまく避けているつもりである。いくぶん後ろめたいものもあるかもしれない。だが次の瞬間、その考えを打ち消す。攻略本を読み、苦労なくクリアするのが自分の実力だと思いもするからだ。実際それでなんとかなるのもまた世の中である。
それでなんとかなってしまったままのひとも、時が過ぎれば大人になる。赤裸々に自分の無能さを隠したまま、いや見ようとしないままでも時が過ぎれば大人になれる。このことは、自分にも覚えがある。あまりにも美味しいどころをつまみ食いしていたことも、自分にはあったのだ。ちょうど香港での前半の暮らしがそうだった。それゆえに、挫折とともに自分の実力の無さを直視したときは、もうえぐられるような痛みがあった。死ねば楽になるという、甘いささやきも聞いた。
ぼくたちに必要なのは、自分をさらけ出す勇気だと思う。「いつかそのうち」「まだ実力は出し切っていない」「世の中が悪い」などと思っているうちは、自分をよく見せようとしているだけである。おたふく風邪がそうであるように、子どものうちにかかって免疫がついていないと、おとなになってからでは重病になることもある。勇気はできるだけ早く発揮した方がいい。ぼくは40を超えてからだった。だからダメージもそれなりに強かった。「まったくいい歳して・・なにもわかっちゃいない」ことを認め、さらけ出すには勇気が要った。要ったが、その見返りはとても大きかったのだ。
日本には、カッコ悪い大人が他国より多い。
見てくれはスマートでも、中身が熟していない。
いや、十分傷つき尽くしていないというべきか。
「子供の心」をもつ大人がカッコいい理由
弱い自分をさらけ出す人には「子供の心」が要る。
あたかも「傷つきたくないガラスの心」のようにいわれることもあるが、まったく逆である。ほんらいは「傷つくのを恐れない心」のことをいう。足りない能力をさらけ出すことから逃げず、それゆえ打たれ、ぶちのめされ、踏み台にもされながら、メリメリと筋肉を鍛えるように実力に仕立てていった人。カッコ悪いことをさらけ出してきた大人たち。そんな大人に備わっているのが、まさに「子供の心」である。
自分が傷つくのを恐れて相手を傷つける。
そんな大人はカッコ悪い
というか迷惑なだけである。
ほんとうにカッコ良い大人たちは、
過去とことん傷ついてた大人である。
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