なにが起こるかわからない時代
という言い方をよく耳にする。現在の混沌とした社会を評してのことなのだろう。とつぜんの大災害。日本海ににミサイルを打ち込む近隣国。猟奇的な殺人事件。給料は上がるんだろうか? こんなに国が借金があるのに、老後はほんとうに大丈夫だろうか?・・・
ひとは先が見えないと不安になる。言い換えれば、確約された決まりごと以外はみな不安でしかない。良いことも起こるはずなのに、そんな楽しみよりも、悪いことばかりに焦点を当てて不安になるのだ。これはもう本能なのだろう。滅亡を繰り返してきた人類の警告バッジが、ひとぞれぞれのDNAに組み込まれているのかもしれない。
だが思うのは不安の正体は「なにが起こるかわからない」からというより、「いま自分になにが起きているのわからない」からではないか。そこを正しく認識しないまま、漠然と先のことを不安視している。自省を込めていえば、ぼくたちはつい、自分のことくらい自分がいちばん知っていると思い込む。良いところもあるし悪いところもある。こういうことがあれば、自分ならこうするだろうことも知っている。認めたくはないが短所もある。表にはあまり、さらけだしたくないものだ。
でもこのことが、自分のことを知ったつもりになっていることが、いま自分に起きていることを曇らせているのではないか。そのくらい知っている。そんな簡単なこと、知ってるに決まってるじゃないか。知ったつもりになることで、自分に起きているなにかから目をそむけているのではないか。
ほんとうは
自分はわかっていない
のである
それが不安の正体である。
誰も先のことなんかわからない。わからないから「いまここで起きていること」に耳を澄ませ、観察する。自分で調べて、ひとに聞く。恥ずかしいことも聞く。先のことなら誰も知らないから聞きようがない。でもいま起こっていることなら誰かが知っているし、自分が気づかなかったことを耳打ちしてくれる。答えがないから不安になるんじゃなく、聞きもしないから答えもない。それで不安がっているのだ。慢心こそ不安の元凶である。
気もちがラクになったのは「自分はわかっていない」ことがさらけ出されるようになってからだった。自分の弱いところや傷つきやすいこと。それを隠すんじゃなくオープンにすると、力になる。
起きてくることに自分を開く
この感覚がつかめると、すごく気持ちがラクになる。なにが不安だったのかもわかるし、どう打ち消すか対策も取れる。不安なひとは自分だけが不安でいることに耐えられず、他人をも不安にさせる。不安の伝播はこうして起きるが、オープンでいると不安が留まらない。自分で対応できるところがわかるから行動に移せるし、それ以外のどうしようもならない部分に心を傷めずにすむ。どうでもいいことに、囚われなくなる。
なにが起こるかわからないから不安になる。
というのはウソで、自分になにが起きているか知らないままだから不安なのである。
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