想像してほしい。2035年、
あなたはどこでなにをしているだろうか?
親や子供はどうなっているだろうか? 日本は世界はどうなっているだろうか? 世界はまだあり、日本もまだある。 親は存命、子供も元気だ。その上で、あなたはどうだろうか?
22年後の話である。
住宅ローンが残っているかもしれない。学資ローンもあるかもしれない。親の介護が始まっているかもしれない。きょうの続きがあしたで、あしたの続きがあさってなのだ。毎日がくり返され、何年もくり返される。20年前のことを覚えているだろうか。Jリーグが開幕し、レインボーブリッジが完成した。映画ジェラシックパークがヒットし、藤井フミヤのTrue Loveがヒットした。「のぞみ」が運行し始めたのもそのころである。学生のころは10年先というと永遠に先に思えたものだけど、実際のところ、20年間なんてたいして長い年月ではない。
2035年、日本はさらに平均寿命が上がっている。それから「おひとりさま」が増えていく。国立社会保障・人口問題研究所の資料をみれば、高齢者の一人暮らし世帯が激増し、夫婦と子供世帯というファミリーが激減するとある(2010年:1450万世帯 → 2035年:1100万世帯)。日本人はおだやかに減っていくが、過激に減っていくのはファミリー世帯ということだ。
■ 急増する高齢者単身世帯
【国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計」】
2035年、ぼくは70代の男性である。
日本でもっとも多い世帯は「ひとり暮らし」であるから、ぼくもあなたもそうならないより、そうなっている確率が高そうだ。世の中のしくみはそれにあわせてシフトし、適用されていくものである。つまり「ひとり暮らし」をする人たちが快適に過ごせる世の中になる可能性が高い。
折りにふれ、そのことについてぼくは考える。これからライフスタイルはどうなり、どうあるべきか? たとえば「家」という概念。これがすっかり変わる気がする。もともと「家」とは、家族をまもる殻(から)のようなものであったはずだ。だが日本ぜんたいからファミリーが減り、ひとり暮らしがふえる。あわせて、家族が変わるように家も変わる。殻はやがて空(から)になるかもしれない。ローンが残る? これがリスクだ。
ローンを組むとき、完済する30年後の自分や取り巻く環境がどうなっているか、どれだけ予測できるというのだろう?ぼくが住む家をローンで買わないのはそんな理由がある。家を建てた場所にやがて住めなくなるかもしれない。「じゃあ売るか」というとき、だれも欲しがらないかもしれない。だのにローンがまだある。というのはまるで囚人の足かせだ。人口が減り、ファミリーが減るこの日本で、家が今より高くなることはまずない。あとになればなるほど「買得」な物件が出てくるからだ。キャピタルゲインは望むべくもない。
家はひとを守るが縛りもする。借金はひとを縛るが守りはしない。もちろんいろんな考えがある。ローンを組んでも買うべきいい時期もあった。だがそれは1995年までのことである。
アベノミクスの影響か、不動産の売り込みの電話が会社にもかかってくるようになった。新築マンションが次々に建っているのだろう。税が優遇されるともいう。だが税制は不変ではない。また、新築が増えるということは同時に廃れやすくなっているということだ。その国の不動産が上がり続けるためには、そこに住む人口が増え続けることが前提となる。その意味で日本は条件を満たさない。外国人の大量移民を認めるとか、そういう大イベントがない限りマンションは空き部屋だらけになり、やがて余ったオフィスビルは建て直されるか、解体され緑地になるまでだ。
ひとり暮らし、という響きには「自由」が感じられる。だけど「高齢者」というワードがついたとたん「孤独」というネガティブな印象に変貌する。2035年、ひとり暮らしはいまの1650万世帯から1850万世帯に増え、このうち3分の2にあたる1200万世帯は50歳以上である。日本でもっとも多い世帯層が、ネガティブのままでいいはずがない。そこには多くの共通する需要があり、供給されるべき豊かな市場がある。
シェアハウスもそのひとつだろう。
多くの「ひとり暮らし」が一箇所に集まり、互いのプライベートを尊重しながら共同生活をする。そこには自由と孤独が、居心地よく共存するのだ。サステイナブルであり、相互依存である。互助の精神が求められるが、これは日本人の得意とするところだ。さまざまなライフスタイルを過ごしてきた人たちが、それぞれ得意なことをして過ごす場所になるかもしれない。中心になるのは、サービスをお金で買うことに躊躇していた世代ではない。家事サービスやマッサージ、料理やガーデニング、創作活動やスポーツ活動。お金を持つひとはサービスを買い、お金が十分でないひとはサービスを売る。金銭を伴わない、ある種の信用取引だってあるだろう。仕事があるというのは、いくつになってもいいものだ。いくつものシェアハウスがそこにはあり、共有し、共存する。政府や自治体も医療サービスなどで支援しやすい。
シェアハウスについてはまた海外、とくにタイやマレーシア、フィリピンやベトナム、インドネシアなど、東南アジアに長期滞在しながらという人も少なくないはずだ。実はぼくが個人的にもっとも関心が高いのはそこにある。個性ある人生を過ごしてきた人たちにとって、終の棲家は日本である必要はないかもしれない。むしろ湿っぽい世間から少し距離をおき、より縛られることなく自由に過ごしたいというひとは確実にいるし、これから増えていくと思う。外国においては、自国民以外の人物について「ふさわしい人」かどうか見定められることになる。だがそれも含めて、海外のメリットというのはじつは多い。
さてこれについては字数がいくらあっても足りないので、おいおい機会をみて記事にしたい。なにしろちょっとしたライフワークになりそうだからだ。
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