浴びるように音楽を聴いていたのはいつのころだったろうか。
いまではすっかり限定的で、仕事の帰りと就寝前のあわせて1時間ちょっと。浴びるにはほど遠い。朝はRadikoでニュースを流し、朝の通勤は更新されたポッドキャスト番組を聞く。何千曲もつっこんでいるiPhoneで、もっとも再生されていたのは『ミュージック・セラピー』というメンタルを癒やすためのアルバムであった。どんだけストレスを抱えていたんだろうか自分?
Apple Music という、定額で音楽聴き放題のサービスを利用してからは、音楽とのつきあいが変わった。ジャンルが広がり、これまで聞いたことのなかったアーティストの楽曲に触れるようになった。それまでぼくは月に平均3枚程度のアルバムをiTuneストアで買っていたが、経済的にもそれが限度。ゆえに気に入ったものだけを厳選する必要があった。聴き放題ならば話は別である。
センスの良いお店やカフェに足を運ぶのは、そこでかかっている音楽を浴びたいからという理由もある。センスの良い店はセンスの良いスタッフがいて、おそらく彼らがセレクトするであろうセンスの良い音楽がかかっている。これは世界各都市共通している。これは!と思えばiPhoneでShazam(音楽認識アプリ)を起動し、楽曲を検索しておく。気に入れば、その場でiTunesで買う。音楽は場所や経験にひもづいて記憶されるものだ。
そのようにしてタイのチェンマイで、ウクライナのオデッサで、ジョージアのトビリシで出会った曲をいまも大事に聴いている。先日も神保町のジャズ喫茶で出会ったハリー・アレンはすっかり晩酌のお供となった。そうした意味においても、何曲聴いても月に千円というプライスはありがたい。
また「心を鎮める音楽」としてHMVがジャズを中心に古今東西、多種多様なジャンルのなかから選りすぐったアルバムをまとめた『Quiet Corner(クワイエット・コーナー)』という本を有楽町のMUJIで見つけ、買った。そのタイトル通り、本で紹介されているアルバムはどれもセンシティブでメランコリックに満ちている。総監修の山本勇樹氏はいう。
とはいえ、このクワイエット・コーナーはけっして音楽マニアだけに向けた特異なものでも、大げさになにか新しいシーンを提案するものでもない。音楽が大好きでもっとなにか新しい音楽を聞きたい人に、「これもどうですか?」とそっとお奨めできる役割になれたらと考えている。そして、必需品と嗜好品の中間、つまり一日に豊かな句読点をうつような存在になれば嬉しい。
この本で出会ったお気に入りのアルバムは数限りない。やはりぼくは心を鎮めるための音楽を求めていたのだろう。デスクに向かって仕事をしたり、食事をしたり、読書をしたりするあいだ、静かに奏でてくれるミュージック。まだ10代の頃からなけなしのお金を使って購入するアルバムは、たいてい雑誌のレビューに影響されたものだった。考えてみればおかしな話である。耳で聞く商品を、目で読む文章で決めるのだ。
『Quiet Corner』ではどのアルバムも200文字程度の紹介レビューがつくのだけれど、アーティストや作品に対する詳細なデータにはあまり触れられていない。エッセイやコラムのようだが、語りすぎず、主張しすぎず、それでもアルバム全体が持つテイストがしっかりと伝わってくる。いまの時代、データを知りたければググればいいし、レビューライターの哲学や博学などジャマなだけである。この本はそれらをちゃんと踏まえているから、読者はとても自然に新しいアルバムと出会うことができる。
▲『クワイエットコーナー・心を鎮める音楽集』シンコーミュージック
▲ チェンマイで買ってきた象の線香皿とLisnのフレグランス 音が香りになる
毎日があわただしく過ぎていく。
ぼくたちは多くのものを求めるが、同時に多くのものを求められもする。ささやかに暮らすにはあまりに情報は多く、また賞味期限は短かい。しなくてもよい判断に迫られ、徒労感とやるせなさが漂う。句読点のような音楽が生活に必要なのは、そうした無限地獄のような取捨選択からほんの少し距離をおき、いささかでも自分を自然浄化するためでもある。小学生のお小遣い程度の料金でアルバムの大人買いができるApple music で、かつてのように浴びるように音楽を聴きたい。
音楽を聴くのは、要らない情報が入ってこないようにするためでもある。溢れる情報を処理する時間は途方もない一方で、先が短くなるほど貴重になるかけがえのない時間。自分のものにするためにも、あなたに音楽をシャワーさせておく必要がある。ときどきまわりの人たちは、齢をとるにつれ聴かなくなったというが、ほんらい逆ではないか。
Bathe in plenty of music.