大学生の本離れを悲観するなかれ
大学生の45%が「本を読まない」という調査結果が発表された。
それがなにか?という気もするが、この結果を受け「だから今の大学生はバカなんだ」と結論づける記事を見かけた。そうじゃないだろうと思う。自分がそうだったように、バカな大学生はいつの時代にもいる。それよりこのデータが示しているのは、もっとも情報吸収力のある世代の半数以上は読書以外の方法で情報を得ているということだ。
いまも昔も一日が24時間であることに変わりない。にもかかわらず、メディア接触時間は10年前より50分も長くなった。これは移動などの「すき間時間」が活用されているのだろう。だが内訳は10年前とだいぶちがう。雑誌や新聞などの紙媒体は半分になり、PCやスマホを合わせたWEB媒体は2倍以上に増えた。スマホに限れば8倍も増えた。スマホに見とれて転びそうになる人も増えた。
- メディア接触時間(1日あたり)
2006年 5時間48分 → 2015年 6時間41分 - うち、紙媒体接触時間(新聞・雑誌)
2006年 0時間52分 → 2015年 0時間33分 - うち、WEB媒体接触時間(PC・スマホ・タブレット)
2006年 1時間07分 → 2015年 2時間29分
ここまでなら、単に紙からWEBに変わっただけでしょ?という結果報告にすぎないのだけど、この10年で本当に変わったのは接触メディアだけではない。
コンテンツは「消費」から「生産」へ
ここ10年の大きな変化は、ぼくたち視聴覚者が、「消費専門者」から「生産兼任者」へとシフトしたことにある。本を読み、テレビを見て、ラジオを聞き、ホームページを見るという「見るだけ読むだけ聞くだけ」の消費一辺倒から、自分でブログを書いたり、撮った写真や動画をアップしたり、Podcast放送番組を配信するなど「見せる読ませる聞かせる」コンテンツ生産者を兼ねるようになった。料理をするにしても、単に作って食べるだけじゃなく、作った料理を写真や動画に撮り、感想とレシピをつけてサイトにアップする。あなたにもどれかひとつ、ふたつ当てはまるかもしれない。だとすれば、すでにあなたはコンテンツを作る側の人である。
これは消費行動に大きな影響がある。
モノが売れなくなったと世の中的には言われているけれど、それは単に日本人の所持金が減っただけではない。年収は下がり税金は上がったかもしれないが、変わらず好きなことにはお金は使う。ただ、新たにモノを買い、消費することがかつてのようにクールでなくなったのだ。価値観は時代とともに変化をし、多様化する。買ったものをただ消費するスタイルはクールでなくなった。それってだれでもできるじゃん、と。それより制作したり生産するほうが断然クールです。そういう風潮が消費行動にあらわれている。
服やバッグは買わないけど、ディズニーランドには行く。ディズニーランドに着ていく服なら買う。CDは買わないけどコンサートには行く。車は買わないけど、車を借りて旅行に行く・・・お金を使うとき、ぼくたちはストーリーを求め、自然と「経験を増やす」ことを意識していないだろうか。経験は自分の価値を高め、自らコンテンツとなれば他者との差別化がはかれる。
ブロガーなら記事にできるか?ツイッターでリツィートしてもらえるか?フェイスブックで「いいね」がもらえるか?検索エンジンに見つけてもらえるか? 書いていてちょっとうんざりしてしまったが、いずれも20年前には概念すらなかったものだ。読書の代わりに増えたのは、こうした友達や一般の人たちの作るコンテンツに触れる時間であり、自らコンテンツを作る時間である。
テレビで10代の女の子が「東京マラソンに参加する目標は?」とインタビューされ、フェイスブックで160以上「いいね」をもらうこと、と答えていた。世にフェイスブックがなければ彼女は東京マラソンに参加しなかったかもしれないし、同様にYoutubeがなければ、外国人マラソン参加者はわざわざ東京へ来なかったかもしれない。ひとの動機付けは、その時代のもっとも最適な手段で行われる。
人をバカにする人は、人にバカにされる
生産者でもあるぼくたちは、サービスを提供する立場にもなりえる。他の生産者や、サービス提供者の立場をも理解する人になれる。立場を理解すれば、むやみに相手を批判したりバカにしたりという行動をとらなくなるものだ。たしかにネット上では罵詈雑言が飛び交う。おかげでうっぷんが晴れたのか、街でケンカを見かけなくなった。言ったものは、同時に言われる立場でもある。「へたくそいうけどおまえそれできるんか?」ギャラリーが見ていれば、これは抑止力となる。批判をするならするで、まともな批判をしたいと思うようになる。議論ができるということだ。誹謗ではなく。
新聞記者の友人が「あまり上目線で記事を書けなくなった」と言っていた。たしかにマスコミの報道ぶりは「モノゴトを知らない視聴者に教えてやらないと」という姿勢が見え隠れしていた。個人発信などによるリテラシー向上を受け、いくぶん態度があらたまったのではないだろうか。プロもうかうかしてられないのだ。
メディアのありようは絶えず変化する。
本を読まないのはけしからんという暇があるのなら、生産者として鍛えられている彼らに足元をすくわれないよう、自らも錆びつかないよう磨いておきたい。
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