ドキッとした。
「なおきん、またブログ休むってよ」
スターバックス店内。まさにコーヒーを飲もうとしたそのときだった。熱いコーヒーを吹いた勢いで唇をやけどし、マンガのように「あちち!」とひとり大騒ぎになった。
会話はとなりの席から聞こえ、目を向けるとテーブルに肘をついてしゃべっている若いサラリーマンが2人。声の主はおそらく眼鏡をかけているほうだ。ふたりとも視線は手にしたスマホにあり、目も合わせないで会話している。不思議な光景だが、もう不思議じゃないのかもしれない。
なおきん、なんていうニックネームはそんなにポピュラーではない。しかもブロガーであり、「またブログを休む」らしいのだ。こんな偶然もあるのかと、ひりひりするくちびるを氷水で冷やしながら、さっそくスマホを取出し、Googleで「なおきん」を検索してみた。
かつて「なおきん」と入力すれば、GoogleでもYahooでも「東京イラスト写真日誌」が最初にヒットしていたものだ。いまは数ページめくらないと出てこなくて少しさびしい。ただ、世の中には「なおきん」という名のブロガーがそれなりにいるようで、いろんな「なおきん」ページがある。「エロパワーがあふれる、なおきんさんのプロフィール」なんてのもある。すごいな、なおきん。でもどのなおきんがブログを休むのか少し気になる。 休むなんて言わず「なおきんブログ」どうし手を取り合って、エロパワー全開でがんばりたいものである。
ブログの高度成長期は2005年から2009年のこと。
2005年から普及に勢いづき、2008年には1700万ものブログがネット上にあふれた。イラ写を開設したのはまさにこの高度成長期の初期のころ。1700万うち5分の4はひと月に1回以下しか更新されなかったそうだけど、まだツイッターもフェイスブックも普及してない時代だけに、メディアでも目立っていた。ひとりでいくつものブログを持ったり、始めたけどやめて放置状態なブログも散乱した。なにごとも始めるのはカンタンだが、終焉させるのはむつかしい。
じゃあブログはもう廃れてしまうのか? といわれれば、ちっともそんなことはない。むしろオンラインコンテンツ全体がブログ化しているんじゃないかと思うほどだ。CMSと呼ばれる、誰でもホームページが作れて更新ができるツール。それをブログというのなら、世の情報サイトは、ほぼブログといえる。総務省が2009年でブログの調査を辞めてしまったのも、どこからどこまでがブログで、ブログじゃないかを判別することが難しくなったからだろう。運営者が個人なのか企業なのか、商用であるかそうでないかは、ブログの定義と関係ない。
CMS(コンテンツマネジメントシステム)自体は古い技術で、これまで数多くのツールが存在した。1998年ごろからあり、一般に使われ始めたのは2003年くらいだったと思う。当時は有象無象のツールがあったが、フリーのわりにサポートが充実していたMovable Typeに収斂していった。個人的にはOpen PNEやJOOMULAが好きで、2005年に立ち上げた「日刊ブロガーズ」というサイトはOpen PNEを使用した。いまは圧倒的にWordpressがシェアトップであろう。とにかく好きなテーマを選択し、プラグインを駆使すれば、だれでもカンタンに、高機能かつ美しいデザインのサイトが構築できるようになった。
この敷居の低さが、スマホの普及と相まって、WEBサイト制作の在り方を根本的に変えてしまった。1970年代終わりのロンドンで、パンクロックがそれまでのロックを破壊的に変えたのとよく似ている。ロックなんて誰でもできるし、やるべきなんだと。「東京イラスト写真日誌」も昨年の11月よりデザインを一新し、Wordpressに移行した。このデザインをひとつひとつ自分でコーディングしていたら1ヶ月はかかるだろうが、Wordpressなら少し学習するだけで、ほぼ1日で完成した。
ブログはイノベーションである。
構築と運用にほとんどコストをかけずにWEBサイトが出来上がる。ぼくたちはコンテンツだけを作ってサーバーに上げればいいのだ。コンテンツは玉石混交ではあるが、他のメディアを圧倒する更新頻度で利用者の接触時間を増やし続ける。そこに商機が生まれないわけがない。
イノベーションが発達するとき、必ず商機もおとずれる。同時に既成にしがみつけば衰退する。ブログを使った収益モデルが普及し始めたのは、ちょうどリーマンショック直後くらいだったと思う。職を失い、再就職してもじゅうぶんな収入がない。就職氷河期で定職につけないでいた20代30代の人たちが、ひと稼ぎできないかと収益ブログが乱立した。アメブロなどの無料ブログでは広告収入に限界があり、手軽さも相まって自分自身でWordpressらを使って独立系ブログを開設する人が激増した。このうち一定の割合で、いわゆるプロブロガーの登場しはじめた。時間と場所に縛られないノマドワークスがいわれ始めたのもこのころである。
プロブロガーはアクセス数あっての商売だから、アクセスが上がるよう自然と読者の欲しがる記事を充実させ、SEO対策をほどこし、更新ひん度を上げる。1日10回も更新するプロブロガーだっている。その姿はどこかニンジンをぶら下げて走るロバを思わせるけれど、結果、ぜんたいとしてブログのメディア力を高めることになった。ASPと呼ばれる、企業広告を集めては、掲載ブログとマッチングさせる業者も登場し、商品紹介ページによる成果報酬稼ぎはいまや百家争鳴の勢いである。2010年を過ぎてからは、クラウドワークスやランサーズなどに登録された人に記事一本から外注し、自らはメディア編集長として収益サイトを運営している人もいる。
セルフブランディングのツールとしてブログを運用するケースも増えた。本業や自分自身のブランドを高め、維持するためのブログである。社長ブログ、モデルやライター、イラストレーターやカメラマンのプロフィールブログなどがそうである。
じゃあ、イラ写はなんなのだ?
自分を振り返って思う。
やっぱりお店なのだと思う。
10年経っても相変わらずイラストを描き、思うことを記事にする。カウンターのこちら側とあちら側で会話が始まる。あるいは始まらない。聞くだけと話すだけ。いつものカウンター席に座っているお客さんがいて、初めて来店するお客さんがいる。気になることを話しかけ、イラストにケチつけあう。
初めてイラ写にアクセスしたのはまだ大学生だったという、いまは塾の経営者から先日メールをいただいた。かつてイラ写の記事を参考に卒論を書いたらしく、恩師と呼ばれいささかとまどうが、ともあれ11年とはそれなりに長い年月なのだと思う。
香港イラ写時代から数えて、記事も2000を超えた。もう初めのころの記事はネットに残っていないけれど、描いたイラストのほとんどや写真はいまもハードディスクに保存してある。イラストはあいかわらず下手だが、以前はもっと下手だった。文章の下手さにもつくづくいやになる。このごろは少し文章のスタイルを変えてみたが、人間が変わらない以上、変わらないものは変わらない。
こんなこと知ってた? とあなたが誰かに訊いてみたくなるブログ。あるいは興味を持って行動してみたくなる。それがイラ写のめざすところで、これからも変わらない。
応援のコメント、泣けてきます。
これからもどうぞしなに。