創業100年以上の会社の8割は日本
世界中に会社の数がいったいいくつあるのだろう? 法人と個人事業の定義も各国まちまちで、補足するのはとても容易じゃない。けれども「100年以上の歴史をもつ会社」に絞れば、およそ3000社とあるという。国数で割れば一国あたり15社といったところだ。このうちなんと80%、約2400社は日本の会社だという。
このうち世界でもっとも古い会社は、京都にある「金剛組」である。創立は飛鳥時代の578年。実に1400年以上も前のこと。この会社が最初に建てたのは四天王寺だが、造らせたのは聖徳太子そのひとであった。
写真は四天王寺
飛鳥時代にはこのほかに2社、奈良時代に4社、平安時代に3社がそれぞれ創業し、今も存在する会社がある。業種も建築業から施設業、紙業に飲食、仏具製造業など。中には精密機械まで作るTECH海発株式会社(771年〜 創業時は鍛冶屋)なんてのもある。
世界を見渡せば、中国にある一番古い会社は1669年創業の北京同人堂(漢方薬)、ヨーロッパでは1200年創業のサンタ・マリア・ノヴェッラ社(薬局)といったところ、アメリカに至っては建国そのものが240年前だから、知れている。世界最古の会社がまぐれのようにひとつあるだけでなく、何社もあるのが日本の特徴である。
株式会社の元祖 東インド会社
株式会社の始まりは、あの東インド会社。ひと航海する前に資金を集めて船や船長、作業員を雇い、航海から戻ってくると出資者でお宝や儲けを山分けした。長い航海前に株式を募り、終われば解散する。会社に富を蓄え、社会資本とする発想がない。自分たちが儲かればそれでよかった。
ぼくは上場したばかりの香港にある会社当事者であったが、役員たちが市場から集めた資金を不動産購入ばかりに投資し、事業再投資や商品開発にふりわけない姿勢にうんざりしていた。案の定、会社はドットコムバブル崩壊のあおりをうけ、倒産。びっくりしたのが倒産するまでのあいだ、役員たちは顧客データからパソコン端末に至るまでハイエナのように資産を奪い合い、仲違いを起こしていたことだ。ここまでやるかと呆れ果てた。不毛な争いにかかわりたくなかったが、グループ会社のひとつを従業員ごと引受け、身銭を切って顧客の信用と商権を守ろうとした。「逃げればいい」ともいわれたが、できるわけがない。
アメリカのCEOの年収は一般社員の300倍
欧米にある上場会社のCEOの報酬はおどろくほど高い。ボーナスで何十億円もとる。会社は株主のものであるのがふつうで、企業の利益配分も株主を優先する。事業投資や従業員の給料よりも。これも株式会社の起源が東インド会社であるゆえんだろう。
ちなみにアメリカのフォーチュン500企業の、CEOと一般従業員の平均年収格差は以下のとおり。
出典:Business Insider/Andy Kiersz, data from AFL-CIO Executive Paywatch
直近でおよそ331倍とある。一般社員が年収300万円と仮定すればCEOは10億円。ぶっとんでいる。ちなみに日本一の会社トヨタは14.8倍である。中小企業ならせいぜい2〜3倍程度ではないか。(参考:社員と役員の年収格差の大きいTOP500社)
日本の底力はまさにこういったところにあるんじゃないか。会社の責任者が自分1代で大もうけできればいいと考えるんじゃなく、会社の存続を優先させる。それが従業員を守り、社会資本となるからだ。日本にある何百万もの会社がすべてそうとは言えないけれど、ごく自然発生的に、(たぶんぼくが香港の会社を受け継いだように)日本人のコンセンサスとして在るように思う。こうした積み重ねが、結果として何百年、千年を超えて存続する会社を生んだのだ。
日本の強みは社会資本
日本は破綻するだの、少子高齢化で凋落するとはやしたてる風潮もあるけど、さまざまな時代のいかなる困難にも絶えずこつことと積み上げられてきた。そのようにして形成された盤石な社会資本は簡単にはなくならないし、壊れるものではない。資源を持たない日本。けれどもそれがハンディキャップでなく、むしろ強みとなっている。資源はやがて枯渇するが、社会資本は減らないどころか蓄積されるいっぽうである。
これが日本を悲観していない根拠である。それどころか日本には、自分たちが知らないだけでまだまだ世界一があると思わせる、なんというかスゴみがあるのだ。
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