一枚の切符でヨーロッパへ
というコピーがある。いまなら飛行機であたりまえの話だが、時代は明治、鉄道でいけるチケットである。日露戦争が終わり、朝鮮半島を併合して間もない1913年。東京とパリを結ぶ鉄道チケットが売り出されたのだ。
東京から主要都市を経て下関へ。そこから航路で釜山へわたり、ソウル、平壌と北上し、ハルビンから西進。シベリアの主要都市を点々とわたり、一路モスクワへ。そこからワルシャワ、ベルリン、そして終点のパリ。述べ14日間の旅である。想像しただけでぞくぞくしてくるではないか。
ロシアがシベリア鉄道を開通させたのが1904年。日露戦争のまっ最中である。そのためヨーロッパ側のロシアから次々に運ばれる兵士や軍需物資に、日本軍は大いに苦しめられた。だがロシアに勝ってみれば、南満州鉄道の経営権は日本が得ることになる。すでに朝鮮半島の鉄道は日本が敷設していたが、統治後はついに朝鮮、中国間に流れる大きな鴨緑江に鉄橋をかけ、ついに釜山からハルビンまでノンストップでつなぐことに成功。これで日本の各都市からヨーロッパ各都市へ14日間で行くことが可能になった。それまでヨーロッパへは船で40日かけていくしかなかったのだ。その後、第一次世界大戦中は運行を取りやめていたものの戦後復活し、1930年代には渡航ブームで国が沸いた。路線は1941年、太平洋戦争開戦により中断されたまま日本敗戦、満州鉄道解散、南北朝鮮分断により、再開の目処はまったくない。
▲ 終点パリにはパリ北駅に到着した。写真は1910年の北駅。ちなみに1984年、ぼくはここで出会ったホームレスと一悶着あった。
はじめてヨーロッパをバックパッカーとして鉄道旅行したのが二十歳のとき。「次回はシベリア鉄道で!」と決心したことを覚えている。が、時間があるときはお金がなくお金があるときには時間がない。などと、いまだ実現されないままである。ウラジオストクからモスクワまで7日間、一等座席で約10万円である。これを使い、海路と陸路で東京-パリ間を移動すれば、片道10日間、運賃は15万〜18万円だろうか。片道だけで、お金も時間もたっぷり必要である。
▲ 東京-パリまでの時刻表。1920年代は16日かかっていた日程も、列車などの改良により1935年には14日に短縮された。
それでも行くなら、ぜひ戦前のように朝鮮半島を横断ルートで行ってみたいものである。夜行列車で下関まで行き、そこから釜山まで連絡船。釜山から特急に乗り換え北朝鮮を抜けて中国へ。長春、ハルビンを抜けてシベリア鉄道へ合流。以後ユーラシア大陸を西進。さらにイルクーツク、ノボシビルスク、エカチェリンブルグ、モスクワ、ミンスク、ワルシャワ、ベルリン、パリ・・ユーラシア大陸を、途中下車しながら1ヶ月くらいかけて旅してみたい。
▲ 渋沢栄一が設計、敷設した南北朝鮮鉄道を経て、シベリア鉄道へ。
南北朝鮮が統一するのが先か、
それとも
タイムマシンが実用化されるのが先か
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