ジャヤワルダナ氏のことを知ったのは、それほど昔ではない。90年代中ごろ、たまたまとっていた雑誌の記事に目がとまったから。記事には元スリランカ大統領が亡くなり、遺言通りその角膜が臓器提供されたと書かれていた。それも片方はスリランカ人に、もう片方は長野に住む日本人に提供したと。短い記事だったし、当時のインターネットはそれほど情報が上がっていない。いったいなぜ元大統領が日本人に角膜を提供したのか知るべくもなく「過去、日本人に世話になったことでも?」くらいしか思わなかった。
だけど後日ぼくは自分を恥じることになる。
日本に恩があるどころか、日本にこそ彼に恩があった。ジャヤワルダナ氏は、第二次大戦後あわや分割占領されそうになった日本を、そうならないよう救ってくれた恩人である。
よく、ドイツは分割されたのになぜ日本は分割されなかったのか?などと言われる。戦後ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、そしてソビエト連邦に分割、首都ベルリンも不公平にならないよう4カ国に分割された。アメリカ領、イギリス領、フランス領は西側陣営としてひとつにし、ソビエト連邦との境界線がそのまま国境となる。西ドイツと東ドイツ、西ベルリンと東ベルリンに。
▲ 東西ベルリンを分割するベルリンの壁。1985年、このかべにおしっこをひっかけたのはほかでもない、ぼくだった。国境警備兵に双眼鏡で睨まれてびびったけど
そして東西冷戦時代、そこは常に南北朝鮮とともに最前線であった。第三次世界大戦があればまっ先に戦場になると。日本はそうならなかった。アメリカのおかげで、というのが通説である。加えて、ドイツは戦争末期、最高責任者ヒトラーが自殺し、閣僚は拷問を恐れて自殺するか逃げ出した。これに対し日本は天皇をはじめ、政府閣僚がそのまま残り戦後処理にあたれたから、という説をぼくは信じていた。
1942年はじめ、絶頂期にあった連合艦隊(日本海軍)は英軍を追ってインド洋に入った。イギリス海軍のアジア拠点はシンガポールとスリランカのコロンボ。前者は陥落させた。残るはコロンボ。空母5隻から飛び立った爆撃機がコロンボとトリンコマリーの英軍の軍港を襲い、上がってきた英軍戦闘機をゼロ戦が片っ端から撃墜していった。
▲セイロン沖海戦で日本の艦載機によって沈められる英国海軍空母ハーミス
ジャヤワルダナ氏はこの空襲をみて「ジャヤ・セーナ(勝利の戦士)がついにやってきた」と思った。スリランカには古くから、ジャヤ・セーナが東のほうから来て仏教を助ける、という言い伝えがあったからである。当時のスリランカはインドと同じくイギリスの植民地で、人々は家畜のようにこき使われていた。憎きご主人大英帝国。だが、とてもかなわない相手である。そんな大英帝国軍を、東から飛来してきた日本の飛行機が、バタバタとやっつけている。煙る空を見上げながら、このときジャヤワルダナ氏はスリランカの独立の好機と考えた。
1945年、矢尽きて日本は敗けた。
スリランカは他のアジア諸国と同じく独立した(1948年セイロンとして)。宗主国であるイギリス軍やオランダ軍を、同じアジア人である小さな日本軍がやっつけるところを直接目にしたことが、やはり大きかった。敗けた日本はまな板の魚も同じ。連合国から不当な裁判を受け、その身をさらしていた。サンフランシスコ講和条約は、戦後の日本をどう料理するか決めるわけだが、さっそくソビエト連邦は日本の主権制限案を提案してきた。ドイツのように分断してしまいたかったのだろう。「日本が二度と歯向かわないよう弱くさせておく」のが参加国の共通するところだった。もちろん「平和」「民主主義」などという言葉でやわらかく覆いながら。
▲ 戦勝国によって計画されていた日本分割
ジャヤワルダナ氏はスリランカ独立後、初代蔵相としてサンフランシスコ講和条約に参加。そこで15分もの演説をした。名演説であった。一部を抜粋したので、ぜひ読んでみてください。長いが、ぼくたちには読む義務があると思う。
「アジア諸国民が日本は自由でなければならないということに感心を持っているのはなぜでありましょうか。それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものがかくすることにより彼らの愛する国々が解放されるかもしれないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります」
「空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯及びわれわれが連合国に対して天然ゴムの唯一の生産者であった時、われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたことによってもたらされた損害はわれわれに対してその賠償を請求するつもりはありません。何故ならばわれわれは、そのメッセージがアジアの無数の人々の生命を高貴ならしめたあの偉大な教師の言葉すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。それは偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージであります」
「故にこの条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること並びに日本経済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することであります」
この演説を各国の新聞はそれぞれ、こう紹介した。
- この会議最高の歴史的発言(ソルトレイク・トリビューン紙)
- ジャヤワルダナ氏こそ、最も才能あふれるアジアのスポークスマン(タイム誌)
- 世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った(サンフランシスコ・エグザミナー紙)
サンフランシスコ講和条約のあと、まっさきに日本と国交を結んだのはスリランカだった。ジャヤワルダナ氏はこのあと、大統領に就任する。生涯日本を愛したジャヤワルダナ氏は、明治時代に日本を訪問し、明治維新をモデルにして自国の独立を図ろうとしたダルマパーラ僧の意志をも引き継いでいたと言われる。
スリランカは子どもたちにジャヤワルダナと日本が自国の独立に寄与したことを教えている。が、もちろん、日本の子どもたちはそんなことは知らない。大人たちもあまり知らない。メディアも教科書も親日国のことはあえて出さず、日本が嫌いでしかたのない国の言葉ばかりを紹介する。日本を責めてばかりの国は「我々アジア諸国は・・」と主語を間違う。ぼくたちも勘違いしてしまいそうになるが、「我々」とは中国と韓国、北朝鮮だけである。新聞もそのあたり、記事の校閲はしっかりとしてもらいたい。
ジャヤワルダナ氏が自らの角膜を臓器提供したかったのは、自分の代わりに祖国スリランカと日本の未来を見届けたいという思いからではないか。だとすれば、今の日本は氏にとってどんなふうに映っているのだろう?
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