決まってもないのに、さも決まったように消費増税のことを紙上に載せる新聞各社。勇み足というよりは、サブリミナル効果を狙っているかのようだ。加えて「これは国際公約である」とまでささやく。
「増税やむなし」の根拠で引き合いに出される1000兆円の国の借金。「ひとりあたり800万円の借金を背負って生まれてくるのと同じ」と繰り返す。以前、ぼくもこれにダマされた。冷静に考えてみれば、やっぱりヘンである。国の借金とはそもそも国債の発行額であり、その国債の95%はほぼ国内から調達している。銀行や生保、つまり原資は国民の預貯金である。国が国民から借金しているのが実態なのに、なんで貸している側が「借金背負って・・」なのだ? 借金を背負っているのは日本政府のほうであり、日本政府は海外のあちこちに計661兆円もお金を貸している世界一の債権国家である。貸した金の利子はしっかり収益となっている。ある意味、日本そのものが世界の銀行である。そんな国が破綻する世界など存在しない。
だまされたのは戦前の日本人もである。
1929年、濱口内閣の時代。痛みを伴う改革を訴え、不況(デフレ)にもかかわらず緊縮財政、つまり増税を断行。通貨供給を制限した。「国民は生まれながらにして90円(当時は大金)の借金を負っている」と、1300万戸にビラを配った。テレビのない時代、人々はこうして「生活は苦しくなるけどこれじゃ増税もしょうがないな」という空気へとなっていった。財布の紐を硬くしばり、節約につとめた。
結果、どうなったか?
1930年(昭和5年)、ついに日本は未曾有の昭和恐慌に突入。税収はさらに落ち、国民は貧窮のどん底に突き落とされた。子供は口減らしに奉公に出され、娘は売られもした。翌年、満州事変。日本中に閉塞感が漂う。
▲ でたらめをやった濱口首相に反発するむきは多かった。ついには暗殺未遂事件までも。
財務省が輝くのは、増税と同時に行う「あなたは特別に税率を減らしてあげましょう」という、特別見逃し減税をあわせて発表することである。これに各業界が飛びつく。「ははー!財務省さま、我にお目こぼしを!」となる。たとえば新聞・雑誌・テレビなどを牛耳る新聞社などもそうだ。この見逃し税率のことを「軽減税率」という。新聞・マスコミがこぞって消費増税を支持するのは、軽減税で自分たちが利するからでもある。財務省としては上げたい税率を広報してくれるのだから、魚ごころに水ごころ。同時に財務官僚の新聞社への天下りも行なわれる。やれやれ、またこれだ。
財務省はまたIMFに顔が利く特権を使って、各国メディアに「増税しないと日本はやばい」と書かせる。同時に麻生さんを使って「消費増税は国際公約である」と言わせる。たしかにG7やG20でそういったかもしれない。だけど文脈には「景気回復などの環境が整えば」とも触れているはずだ。あえてこの部分を端折らせるのが、なんともあざとい。
消費増税するかどうかの正式発表が10月1日に行なわれることから、直前までマスコミは増税支持の大合唱が行われるのだろう。さらに(エセ)国際公約を最大限利用した「外圧」をもつかって、消費増税しないと海外から信用されなくなるとおどす。こうしてもともと消費増税に慎重な安倍さんをぐいぐい包囲する。詭弁までして増税に踏み切ろうとする「財務省=マスコミ連合軍」。彼らは頭もいい。あの手この手の弁が立つ。その頭の良さを既得権益ではないほうにも使って欲しいのだけど。こうして日本はいつかきた道をふたたび歩むのか?
昭和恐慌の時といまでは、状況が明らかに違う。あのときは緊縮財政一本やりだったけど、いまは金融緩和や法人税の引き下げなど経済対策とセットじゃないかと思うむきもあるかもしれない。だけど過去、段階的に消費税率を上げるたびにそれなりの経済対策はやってきたのだ。それでもなお、不況に突入し、税収は下がった。日本はデフレに陥り、自殺者が増えて高止まりした。
デフレ脱却はかんたんじゃない。施策が効き始めるのに3年はかかる。基本給が上がるのもやっとそのころからだろう。増税はそれからでも十分間に合うはずだ。財布にいささかの膨らみを感じてなら、数%の増税でも構わず買いたいものを買うだろうからだ。
目的は税収額のはずで、増税率そのものではない。それより優先させるべきは、いまも納税をごまかしている年間10兆円の回収策であり、そのためのマイナンバー制度の徹底である。
だれもが「消費税率やむなし」と洗脳されつつあるいま、ぼくは最後まで反の意を唱えたいと思う。せっかく立ち直ろうとしている日本経済を、こんな絶妙なタイミングでコケさせたくないものである。
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