まとまったモノを捨てようと、引っ越した。
都心から離れたぶん緑がふえ、家賃は安くなった。ふつうに暮らしていれば、ただでさえものが増える。「もったいない」とか「いつか使うだろうから」と、捨てずにいたものが澱のようにたまる。収納場所はモノで埋まり、新しく買ったものによってフタをされる。こうして「あれどこにいったかな?」的なモノが収納の奥のほうで、見つけてもらえず動けない。やがてそのことすら忘れられる。見つからないからと、似たようなものがまた増える。
愛用しているモノ。こだわりの一品。などというと聞こえはいいが、ともすればモノがまるで自分自身のような勘違いをすることがある。まるで「自分の価値」がそこにあるような錯覚。
ある日、スーツケースひとつ持っての旅先で「ここで暮らしてみたいな」と思うことがある。スーツケースの中にあるものだけでどれだけ過ごせるだろうか?と考える。東南アジアのどこかなら、1年くらい暮らせるんじゃないかと思う。自由だなあと思う。ぼくたちは仕事や人間関係だけに縛られているだけじゃない。自分の所有するさまざまなモノにだって縛られている。身動きがとれなくなっているのだ。
▲ 前の家にあった大きな本棚です。収納家具が大きいと、どうしても棚を埋めようとする心理が働いてモノは増えるものです。大きい家具というのは、それだけでスペースをとるから、人の自由空間を奪いもします。
▲ 広いデスクというのはまるでコクピットのようにやる気にさせてくれます。でもそのいっぽうでスペースを奪い、モノの置き場所になる危険もはらみます。机の下がデッドスペースになり、色んな物を置く習性が生まれもします。9年間愛用したデスクと椅子も処分しました。いままでありがとう。
▲ ついつい増えるガジェット。ろくに使われないままクローゼットの奥に箱ごと収められていたものもありました。おかげでクローゼットからはみでた衣服はハンガーに掛けられ、そのため服が探しにくく取り出しにくいことに、また、すぐにしわくちゃになったりもしてました。ここに写っているのはちびきち以外、みな処分しました。
▲ 新居の本棚。これがぜんぶです。処分した本は実に400冊以上。スペースに余裕が生まれ、かといってそこにモノを詰め込むこともやめました。掃除もしやすくなりました。掃除がしやすくなるということは掃除の回数も増え、ほこりがたまりにくくなるというメリットも。
▲ デスクと本棚を小さくしただけで、以前と同じ6畳でこれだけスペースが生まれました。
▲ 6畳内に、ちびきちスペースもちゃんと確保されてます。
▲ 椅子も小ぶりのペリカンチェアに買い換えました。1万円と安価でしたが見た目も座りごこちもやさしく、おしりをすっぽり包んでくれます。
▲ 以前は幅が2メートルもある机だったので、さすがにせまく感じます。それでもキーボードや入力デバイスが無線なら、さっとどかしてスペースを空けて本を広げるなりノートを広げればだいじょうぶ。小さな鉢植えを置いて目の保養にしています。デスクはまいにち拭いています。コンパクトなので1分かかりません。
▲ ソファも小さなものに買い換えました。座り心地は圧倒的に前のものが良かったですが、小さくなったぶんスペースができました。ダイニングテーブルと椅子は思いきって捨て、やや背の高いソファテーブルで代用。おかげで新居のほうが狭いはずなのに、ずっと広く感じます。
▲ 意外とかさばるのが書類。あらゆる紙ものはぜんぶスキャンしてエバーノートにデジタル保存します。なくさないし、見つけやすい。愛用しているのはScanSnap ix100 コードレスなので取り回しもよく、取り込み先もPCはもちろん、iPhoneやタブレットでもおこなえます。
大型ゴミは処分するのにお金がかかるし、日程もバラバラだ。それがおっくうで「いつかこんど」になる。一気に片付けるのに引越しは有効だ。ずっと探していたものが見つかることもある。だが見つかっても「いままで使わなくても済んだんだから」と結局捨てる。1年使わなかったものはイエローカードで、2年使わなかったものはレッドカード。捨てる基準はそのようにして決める。ぼくの場合は1年でレッドカードにして捨てた。今年はついに泳がなかったので、水泳パンツも捨てた。まちがえて何個もの腕時計を捨てたりもしたけれど、大して困らなかった。
自分の持ち物を見直す、というのは自分のライフスタイルを考える良いきっかけになる。自分はこれからどんなふうに生きたいか。暮らしていきたいか。信念としたいか。いま所有しているものはそれに則しているのかいないのか。関係あるのかないのか。道行く妨げになり、変わる障害となる。モノは別のモノを呼びよせ、あれも足りない、これも足りないと意識させる。渇望はまた、満たされない承認欲求であるかもしれない。ストレスは溜まる。それはまるで無限地獄のようではないか。
新しい部屋にちびきちはまだ慣れないようすだ。あちこちウロウロしては匂いを嗅いでいる。広くなったスペースで、ボール遊びも楽しそうである。この先何十年もの時間の上で、ぼくは住む場所を変え続けていくのだろう。ちびきちはやがて居なくなる。ぼくもそのうち居なくなる。あとにモノだけが残るのも寂しい。ひとそれぞれにすごすライフスタイルに合わせ、モノも場所も変えていけばいい。
引越しはそのためにある。
前進するために。