太平洋戦争末期の1944年10月のこと。
台湾もまた米軍機による襲撃に遭っていた。台南市でも米戦闘機が襲いかかり、地上の市民を殺傷している、日本のゼロ戦がスクランブル発進。これを阻止しようと勇敢と立ち向かうが、圧倒的な米グラマン戦闘機の前に一機また一機と堕とされていく。その一機は台南市海尾の大集落に墜落しかけていた。パイロットは必死で機首を持ち上げ、集落を避けるべく畑の方へ機を運ぼうと必死に操舵。機体は空中爆発。集落は難を逃れ、パイロットは脱出するも機を逃して死亡した。
戦後、海尾の人々は命をかけて集落を守ったこのパイロット(杉浦茂峰少尉)を祀るため『飛虎将軍廟(ひこしょうぐんろう)』を建て、感謝の念を捧げる。今もその廟を訪ね祈る人が絶えない。その廊内で朝は「君が代」が、夕には「海ゆかば」を粛々とうたわれている。台湾の人々はそのようにして地元を護った日本人を神として祀ったのだ。(以下は昨年末の地元台南市の新聞より抜粋、日本語訳されたもの)
(台南 1日 中央社)台湾南西部沿岸の台南市安南区海尾には戦時中、地元村民を守るために自分を犠牲にした日本人兵士を神として祭る「飛虎(ひこ)将軍廟」が建てられている。地元の安慶小学校ではこのほど、この日本兵の精神を郷土教育の一環として物語や歌にし、先月末、この神様の誕生日に発表会が行われた。台湾紙・聯合報が11月30日付けで伝えた。
地元の安慶小学校では、黄俊傑校長が郷土教育の中でこの日本兵の「みんなを思いやる心」を児童らに学んでほしいと、教諭・児童らで絵と漫画、「飛虎将軍の物語」を作成し、さらに「安慶人のおてほん」を作詞・作曲、11月29日、飛虎将軍の誕生日(陰暦10月16日)に同校では一同がお廟の前に集まり、子供たちによる物語の朗読や歌が披露された。 【フォーカス台南2012年12月1日】
中国や韓国では考えられない台湾人の対応。
同様のケースが起こった場合、日本ではどうか?
1999年11月、埼玉県狭山市に自衛隊練習機が墜落。送電線に接触して付近80万世帯に停電を引き起こす事件であった。訓練中、エンジントラブルが発生し「エマージェンシー」が発信された。操縦不能となり機体が下がり始め、パラシュート脱出可能な高度300mが迫る。だがこのままでは機体は狭山ニュータウンの何処かに落下し、多くの被害が出ると判断したパイロット2人は、機体を住宅地を抜けさせ入間川の河川敷までとぶことを決意。その後、脱出するが高度が足りず地面に激突。パイロット2人は死亡した。自らの脱出を後回しにし、民家に機体が落ちないよう機体を操縦し続けたのである。原因は機体の故障であった。
▲ 墜落したT-33自衛隊練習機(イラストは同型)
事件後、航空自衛隊入間基地司令官は狭山市長を訪ね「市民に迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪。市長はさっそく航空自衛隊の飛行自粛と、市民生活の被害などへの保証を求めた。マスコミは連日にわたって停電などの被害状況を詳しく報道しながら、自衛隊のあり方やまるで鬼の首をとったかのように不要論などを訴えていた。2人のパイロットのことは、ただ「死亡」とだけ。
▲ 平成11年11月22日の朝日新聞。「停電」という被害ばかりを大々的に報じ、自衛隊員が被害を防ぐために自らを犠牲にしたことなどは一切触れていない。
60数年前のゼロ戦パイロットと、14年前の自衛隊パイロット。ともに、自分の命を捨てて住民を守ろうとした防人たちである。地元の台湾人たちは今もお参りする人たちがいるいっぽうで、ぼくたち日本人は平成11年の事件のことをまだ覚えていただろうか。
二人のパイロットの名前は、中川尋史一等空佐と、門屋義弘二等空佐である。
ちなみにシンガポールの高級紙 ”The Strait Times”では、この狭山市の事件をなんと見開き2ページにわたって詳細に報じ、2人の殉職者のことを”Hero(英雄)”と讃えていた。
胸が痛む。
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