まだ行ったことのない国、マレーシア。
けれども不思議とマレーシア人の知人やビジネスパートナーには恵まれていて、何人かはいまでもメールやスカイプでやり取りしている。
「ぼくは1963年生まれ、あなたの国と同じ歳です」
というのがぼくのマレーシア人に対する自己紹介の常套句。 そう、マレーシアはその国名になってからまだ42年ほどしか経っていなくて、それまではマラヤ連邦と呼ばれていた。
さて、そのマラヤ連邦だけど、悲願の独立を果たしたのは1957年、英国からだった。 さらに同国の独立のきっかけとなったのは、実は日本だった。 というと驚く人もいるかもしれない。
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1400年に成立したマラッカ王国がこの国のあけぼの。 まもなく1511年にポルトガルがここを占領してから、以来、オランダ、英国と支配者は変わっていったけど、結果的に450年ものあいだヨーロッパ列強の植民地となっていた。 このことが、マレー人をして独立意識が生まれる機会を与えず、唯々諾々と彼らの支配を受け続けることとなった。 また同国を150年も領有した英国は、華僑(中国人)や印僑(インド人)を利用してマレー人を支配していた。 つまり、憎まれ役を華僑等にやらせ、英国人は返り血を浴びないところでこの地を悠々支配していたのだ。 マレー人には気の毒だけど、英国人のこのあたりの植民地政策にはつくづく舌を巻く思いがする。
何百年と続いた白人支配に終止符を打ったのは、1941年12月の日本軍によるマレー半島のコタバル上陸だった。 西方でハワイを奇襲攻撃していたそのとき、南方では大輸送船団が日本海軍の支援のもとマレーへ侵攻、破竹の勢いで翌年2月にはシンガポールを陥落させた。 (ぼくの祖父も戦車小隊長として作戦に参加、激戦の上、九死に一生を得ています) しかもシンガポール陥落時、日本軍は5万、英印軍は倍の10万。 もし英国軍が正確な日本軍の数を知っていたなら降伏したかどうかは怪しく、事実、総司令官だった山下奉文(やましたともゆき)中将はシンガポール停戦会談後、親友に 「時間が経ち味方の劣勢が相手に気づかれてはと、正直なところ気が気じゃなく、どうしてもあの場で無条件降伏に持ち込む必要があった」と漏らしている。
とにかく「日本軍によるシンガポール陥落」のニュースは、それまで世界のほとんどを支配していた欧米人たちを震撼させ、アジアやアフリカの人たちを大いに勇気付けることになった。 「陸軍大国ロシアに続き、海軍大国英国までもが日本軍にやられちゃたのか!?」 といった感じだったのだろう。 フランスのドゴール将軍はこの日の日記にこう記述している。
「シンガポールの陥落は、すなはち白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味するものだ」
日本軍のマレー侵攻は、こうした西洋植民地主、そしてその番頭を務めていた華僑にとっては、たしかに「侵略」であった。 これまで同地で支配していた経済的、軍事的利権を日本に奪取されてしまったわけだから。 戦後、日本を「アジアの侵略者」と決め付け、今なお戦争責任と猛省を促そうとする世論は、こうした世界にネットワークを張る華僑の人たちの影響によって作られたともいえる。 戦後日本統治の終焉とともに利権を取り戻した華僑たちは、再び経済とマスコミを牛耳り猛然と日本を攻撃し、いまなお勢いは収まらない。(ぼく自身、香港やシンガポール、ロンドンでその集会を目撃した)
いっぽう、それまで支配されていたマレー人にとっては、日本軍の侵攻はむしろ歓迎していたふしがみられる。 侵攻してきた日本軍に食料を提供し、地理を案内し、軍事物資の運搬まで手伝ったりしたという。 (ぼくの祖父が密林で迷子になったとき、現地人に道案内をしてもらって助かったのよと、祖母が言っていた)
一例が、1991年12月にマレーシアのクランタン州政府により、コタバルで行われた 「日本軍の上陸50周記念式典」の開催。 同時に「戦争博物館」も設立され、マレーシアが独立するきっかけとなった日本軍上陸を記念している。 英国の支配に苦しめられていたマレー人は、「日本軍の侵攻に抵抗」したというよりは、その逆だったのかもしれない。 「祖国のためだけじゃない、アジアのために戦うんだ」と戦中祖母に話していた祖父(故)がこのことを知れば、きっと喜んだだろうにと想う。
日本軍がマレー半島を占領していたころ、「沼南興亜訓練所」が設置され、将来のマレー国家を背負って立つ軍人を養成していた。 そして1000人以上の卒業生を輩出し、後にマレー義勇軍の将校となって、戦後独立の主力となり、建国後は政治・経済などの面で国の指導者となったといわれている。
マレーシアのマハティール首相は、1992年香港でこう語っている。
「日本の成功が東南アジア諸国に自信を与えた。 もし日本の支援なかりせば、欧米の世界支配は永久に続いているはずだ。」
戦後の日本人は、あまりにも戦前戦中の日本人や軍に対して傲慢すぎるような気がする。 「昔の日本は悪かった、心より謝罪します」 と平然と言ってのけるけれど、いったい何の視座をもってそう言っているのだろう? と思う。 中国人や韓国人が一方的に日本ばかりを責めるのは、理不尽だとは思うけど、これはこれでしかたがない。 祖国に忠誠を誓わせ、国民に誇りを持たさなければならないとすれば、史実がどうあれ、自らに正義と正当性があるよう証明しなくちゃなんないのだろう。
けれども、同じ日本人がまるで神の視座を持つかのように、彼らと一緒になって自らの祖先を責めるのは、いかがなものか?と思う。 それで善人になっているつもりなら、実にみみっちいなあ、と。 かつてはぼくもそうだった。 それを、(実に!)英国の友人や年配の台湾人に指摘され、とてもなさけなかったのを覚えている。 祖父やその世代の日本人にたいへん申し訳ないと思った。
次回は、他のアジア諸国について・・
続きます。
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