「老い防止」と打ったつもりがこのタイトル。
風合いがあるのでそのままにした。
ひとは生まれ、老いる。
半世紀も生きていれば、たまにちらっとみえたりする。それでも「老い」というのはなかなか認めたくないものである。「おれはいつまでも若い」といいはる先輩たちをイタイと思う。ということは自分も後輩たちをイタがらせているのだろう。無理をせず「年相応に」でいい。謙虚でいたい。
謙虚には「まだ成長したい」という向上心がある。ひとはいろんなモノを抱えこみながら生きている。いいこともあるけれど、悪くはたらくこともある。澱のようにたまりもする。変わらなくちゃいけないときに変われないとか、動かなくちゃいけないときに動けない。
たちがわるいのは、慣性。
変わらなければ変わらないほど変わらなくなるし、動かなければ動かないほど動けなくなるという慣性。それのどこが悪い? とひらきなおる向きもあるかもしれない。変わらずいるのもステキじゃないかと。
万物に平等なのは時間と引力。かたちあるものはすべて崩れていくもの。原因はこの時間と引力。変わらなければ、動かなければ、どんどん崩れるがまま。「老い」に定義があるならば、ひとつはこの「崩れること」だと思う。
一日が終わる半時間前、ひそかに自問することが3つある。
- 学んだか?それはなにか?
- 感動したか?それはなにか?
- 違うことをしたか? それはなにか?
それぞれ最低ひとつずつ。できれば3つ以上、答えられること。それが自分に課したルールである。これらを意識してからは生活がグッと自分のものになったような気がする。つまり流されない。おごらない。あたりまえを疑い、あたりまえを感謝する。これまであったはずのものが、おざなりになっていたものが、気づくようになる。
それはなにか?
書き留めておくのもいい。
あとでいいことが起こるクセがつく。
最近のコメント