してもないし、証拠だってなかったのに「認めさえすればもう言わないと約束するから」とゴリ押しされ、認めてしまった日本軍による従軍慰安婦の強制連行。これを政府見解としてまとめ「従軍慰安婦の強制連行を認めた」と日本政府の見解を全世界に公言した。いわゆる河野談話、1993年のことである。
あの時「もう言わないから」と約束した韓国は、むしろ世界に大放言。河野談話は持論を正当化するために大いに活用している。国連に訴えて国連から日本にクレームを出させ、関係のないアメリカ本土に「従軍慰安婦像」など建て、次はオーストラリア、フランスを狙うなど、全世界に拡散させくりかえし日本の非道を訴えようとする。現地の日系人の子どもたちはこのことで、学校や近所でいじめや嫌がらせに遭っている。親御さんは悲痛を叫び、慰安婦像撤去の署名運動中だが、日本政府からはなんの援助もない。外国人ジャーナリストたちは「いくらなんでも政府が事実でないことを認めてまで自らを貶めないだろう」と、河野談話を信じ、いまさら「見直しを」などという日本政府にかえって不信感をもつ。だました韓国はひどいが、だまされた日本政府も悪い。ましてこれを世論誘導したり後押しをしたメディアの罪は重い。
だからといって従軍慰安婦問題が「なかった」わけではない。軍による強制連行は確かにあったのだ。ただし日本ではなく韓国で。ときは1950年、朝鮮戦争の時である。
女性は韓国軍情報機関員によって拉致された。あろうことか自国民女性を軍が誘拐し、性奴隷として働かせていたのである。慰安所は政策として韓国政府が運営。お客様に迷惑をかけてはと毎週、性病検査も実施した。そのことは『後方戦史(1956年編纂)』という韓国公文書にまとめられている。強制連行の事実もそこにある。
後方戦史には前半が「韓国従軍慰安婦」で、後半は「米国従軍慰安婦」という構成。朝鮮戦争が休戦になった1953年に韓国軍兵士向け慰安所はいったん閉鎖。するとこんどは駐留米軍の基地周辺に基地村を作り、ひきつづき政府公認で慰安所を運営した。「公認」なんて生やさしいものじゃない。彼女らは「特殊慰安隊」などと呼ばれ「もっと体を売って外貨を稼げ」と命じられていたのだった。さらっておいて、あんまりである。これじゃヤクザの元締めとかわらない、どころかもっとたちが悪い。政府主導では警察だってこれを取り締まれないからだ。
基地村はその後何年も続いた。
1971年にはいまのパククネ大統領のお父さん、朴正煕(元)大統領時代になるとさらに徹底。もっと外貨を稼げるよう客を増やした。売春クラブを観光協会に登録し、米軍兵士に加えて外国人旅行者相手にも彼女らに奉仕させた。それが愛国的なのだと。日本人はいいカモだった。当時「キーセン観光」などと男性むけ韓国パッケージツアーが流行ったのはそれからだった。ぼくは子どもだったが「キーセン」という言葉は大人たちからなんどか耳にしたものである。
そのあたりのようすは、米軍慰安婦として25年間(!)も働いていたキム・ヨンジャ氏による手記が『基地村の女たち』というタイトルで日本でも発売され、性奴隷たちの悲惨な実態が明かされている。日本軍による強制連行と従軍慰安婦の訴えが、捏造のわりにみょうに生々しいのは、実際にそのようなことが第二次大戦終了後も、長く韓国で行なわれていたからなのかもしれない。
▲ 基地村と米軍慰安婦
反日に異様な執念を見せるパククネ大統領。
日本に対しては「歴史を直視せよ」と常に上目線だ。大見得をきり日本を威勢よく非難してみせるが、ひるがえってみれば韓国独自の慰安婦問題を直視できない自分に対する自傷行為である。父親との因果もこれに拍車をかけた。父親は従軍慰安婦をやめさせるどころか、外国人観光客にまで手を広げた張本人だからだ。
当時の韓国は貧しかったから仕方なかった、というひともいる。貧しい国なら今もむかしも変わらずあるが、だからといって自国の女性をさらって外国人に体を貢がせ、外貨を稼ぐ国はそうもない。あっても北朝鮮くらいのものだ。だとすれば同じ朝鮮(韓)民族。李氏朝鮮時代もきっとこんなかんじだったのだろうか。
かの国の歴史は長く、根は深い。
善意が通じた、ためしもない。
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