アメリカ南北戦争は日本の金が

日本人にはあまりなじみのないアメリカ南北戦争

北軍(アメリカ合衆国軍)と南軍(アメリカ連合国軍)とで戦い、120万人もの戦死者がでたアメリカ最大の戦争。第二次大戦でのアメリカの戦死者が35万人というから、実にその4倍近い規模である。リンカーンが大統領に就任したことをきっかけに、奴隷制度を維持したい米南部の11州が次々と独立し、アメリカ連合国として建国した。独立はフランスも認めている。ぼくたちは南北戦争を「アメリカ内戦」として考えているけど、南北朝鮮と同じように国と国の戦争とみるべきかもしれない。

23州からなる北部の人口は2300万人、対する南部は奴隷も合わせて900万人。勝ち目はない。史実でも北軍が勝利した。奴隷を解放した北が、奴隷制度を維持しようとした南に勝った。めでたしめでたし!やはり正義は勝つのだ。程度の理解ではこの戦争に関心がわかないのもしかたない。だけどおおかたの戦争に正義がなかったように、南北戦争にもやはり正義はない。あるのは無益な殺戮である。まったく120万人もの死者を出す必要のない争いであった。

意外かもしれないけど、あのころのアメリカは南部のほうが経済的に豊かだった。プランテーション栽培される綿花の輸出が豊富な外貨をもたらしてくれていた。売り先は大英帝国。アメリカ北部は工業製品が中心産業だったが、それより当時の世界はまだ繊維製品加工業がもっとも儲かる商売だったのだ。

リンカーンが奴隷制度をこれ以上拡めたくなかったのは人権保護が理由ではない。工場で雇用されている白人労働者を、安価な黒人奴隷から保護したかったからである。このまま奴隷を増やし続ければやがて工場労働者は安価な黒人に替わり、白人たちは失業してしまう。これを恐れた多くの工場労働者がリンカーンを支持した。それで当選したようなものである。だからこれまで奴隷制度があって初めて経済基盤がなりたっていた南部からは当然、反発がでた。まずはサウスカロライナ州が独立、続いてミシシッピ州フロリダ州アラバマ州など11州が次々に脱退していった。やがて連合し、合衆国と争うことになった。もちろん争わない方法もあった。実際のところ北部は戦争などする余裕もない。カネも兵も少なかったのだ。


▲ 戦場を視察するリンカーン大統領(映画『リンカーン』より)

ペリーとの間で日米和親条約が結ばれたのが1854年。ハリスとの間で日米修好通商条約が結ばれたのが1858年。南北戦争がはじまる3年前のことである。これは偶然ではない。アメリカ歴史上最大の南北戦争のきっかけは、なんとこの下田で結ばれた条約であった。

日米修好通商条約の第五条に「金銀等価交換」がある。
当時、江戸においては金貨1枚を銀貨4枚と交換できた。つまり金の価値は銀の価値の4倍である。いっぽう世界の相場は約15倍であった。金1枚に対して銀15枚も必要だった。それまで鎖国をしている日本にとって世界相場などどうでもよかった。ほとんどが国内で流通していたのだから。ハリスはそこに目をつけた。「日本の金は安い!」と。なんと世界相場の4分の1なのだから。マルコ・ポーロのいう「黄金の国ジパング」は本当だったのだ。方法はこうだ。まず日本にメキシコ銀貨を大量に持ち込み、これを金貨(慶長小判)と交換する。次に大英帝国に割譲されたばかりの香港へこの金貨を持ち込み、ふたたびメキシコ銀貨に交換する。1 : 4 で交換してもらったものを1 : 15 で交換し直すのだから約4倍に増える。ボロ儲けである。

ハリスはリンカーンの部下であった。
もうけたカネは着服もしただろうが、大いに政府の軍資金となった。その規模ははかりしれない。経済的には南部より格下だった北部に日本のゴールドがもたらした功績はすさまじい。形勢を逆転させ、一気に軍事的優位に立った。たった2万人足らずの兵を220万人まで増やし、期間銃や大砲などの最新兵器をそろえた。4年ものあいだ南軍と戦い、これに勝利。敗戦した南軍の費用支払いも代替した。さらには広大なアラスカをロシアから購入した。


日米修好通商条約を結んだタウンゼント・ハリス、リンカーンの部下でもあった

結果、日本の保有する金の8割が流出した。
おそるべき日米修好通商条約。ぼくたちは学校でそれをならうべきだった。そもそもカネを「金(ゴールド)」と書く風習は、日本にそれだけ金が流通していたという左証ではないか。ちなみに2014年現在の金備蓄はアメリカ8133トンに対し、日本765トン。黄金の国ジパングの見る影もない。

さらにひどいのが戊辰戦争
映画『ラスト・サムライ』でもテーマになったが、サムライたちをなぎ倒した機関銃や大砲は明治政府がアメリカから買わされた(一部フランス、英国を経由)もので、どれも南北戦争の余剰品か中古品であった。南北戦争が終わったのが1865年、戊申戦争は3年後の1868年。大政奉還も終わり無血革命として世界で絶賛された明治維新。戊申戦争などする必要はなかった。だがおこなわれた。両軍合わせて死傷者は8千4百人あまり。アメリカの武器商人が一役買ったといえなくもない。

かといってアメリカを恨むのも筋違いである。南北戦争での戦死者は前述のとおり120万人。日本のゴールドなかりせば、死ななくてすんだかもしれない。


▲ 慶長小判

かくも歴史は数奇なり。
ぼくたちはもっと学ぶ必要があると思う。

9 件のコメント

  • あらら、、一番でしょうか?!連休ボケの水曜日ですが、皆さんお忙しいのでしょうね。
    なおきんさん、お久しぶりです!歴史に全く疎い私でも、理解できる興味深い記事
    毎回「そーなの!!」と思いながら読ませていただいてます。
    今回の記事に対して、コメントできる知識を全く持っておりませんのでこれを機会に
    映画や関連書籍を、調べたいと思いました。学生時代に、もっと色々な事に興味を持って
    取り組めば良かったなぁ。。。なんて後悔するのは、残りの時間が見えて来た年齢に
    なったせいもあるのでしょうか。
    毎回コメントしていませんが、しっかり読ませていただいてます(^O^)

  • こんにちわ。いつも驚くような話題に感心させられっぱなしですが、今回も驚愕の事実ですね。

    幕末に金が大量流出した、という話は、高3のときに習いました(院生だった日本史の先生が、憤りながら話してくれたので印象に残っています)。ただ、それが南北戦争と関連があったとは・・。

    いろいろと興味がわいてきますね。

    一般論としては不平等条約ですし、それに負けて植民地同様、または植民地そのものになってしまっても不思議ではなかったでしょうに。と、考えると、明治期の日本人がまた偉く思えてきます。

    また、関連する疑問ですが、日米開戦時にも、こうしたことはあまり話題になっていなかったのかな・。なんとなく聞いているのは、一般市民の対米感情は、開戦まではそれほど悪くなかった、とか。人(民族)によっては、恨み骨髄、となりかねないことだとも思いますが、現代のわれわれを含め、やられちゃったけど、まあ仕方ないか、みたいな意識が感じられるのは、日本人の特性として興味深い気がします・・。

  •  米国の南北戦争では、大砲の相当な数がフランス製だったと聞きます。幕末の頃は、諸外国の軍艦が日本近海でうようよしており、幕府・新政府・諸藩問わずに簡単にチャーターできたとか。この時代の武器や傭兵(義勇兵)の動きは意外な程世界的で驚かされます。

     しかし、無知は本当に身を滅ぼしますね。金の流出、隣国の相場さえ把握できていなかったのか、支配階級がこのカラクリに気付けなかったのか。戦国時代に諸侯が必死こいて掘りまくった結果、江戸時代初期までに日本の金の産出量は世界の1/3を占めていたとか。それなのに。

     確か開国以前から、英国が同様の手口を考え出し、インド・中国・日本の三角貿易で荒稼ぎしていた・・・と学校で習ったような?

     それにしても諸外国には利益しかない、不平等条約を撤廃させた明治政府の努力には頭が下がります。

  • この時代のアメリカは米英戦争などでイギリスから経済的など独立を果たしたとは言っても、産業革命を達成しているイギリスに対し、北米各州は競り合うことは難しかったでしょうから、保護主義を貫いていましたし、それに対して南部各州はプランテーション農業による綿花などをイギリスに輸出していたことから、自由主義を主張していたと記憶しています。
    今後のアメリカ経済を支える工業の確立は急務だったでしょうし、そのためにも北部の産業を成長させることはアメリカ合衆国として必須だったと思います、そのためにも北部支持の動きは必然ですし、正当化するための奴隷解放はいい口実だったでしょうね。
    当時の金銀交換比率は日本史でも必ずと言っていいほど教科書に掲載されていましたし、南北戦争との関連性も感じていました。
    ただし戊辰戦争との繋がりは意識していませんでした。そっか〜!なるほど!と目から鱗状態です。というのも幕府側をフランスが支援、新政府側をイギリスが支援しているという意識から、ナポレオン3世との絡みを考え、当時の欧州覇権の動きを気にし過ぎていました。
    当時のイギリスが比較的日本に接近していたのは、アメリカの影響を利用しながらも、その影響力を増大させないためでもあったのでしょうね。
    やはり歴史は面白いですし、考えさせられますね。
    もっと勉強しなくては。

  • なおきんさんから教わる世界史はとても興味深く、社会科全般が苦手だった私も、もっと知りたくなります。
    学校で学ぶ歴史がまるっきりの事実ではないのよ、と教えてくれた友達の言葉が、その頃はピンときていませんでしたが、いまはなるほど、そういうことだったのねと実感しています。

  • 「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのでもない。変化できるものだけが生き残る」by チャールズ ダーウィン。

    今回の記事で「強さや正義が勝つのではない。世界に目を開いたものが勝つ」の思いを強くしました。

    ハリスと言えば、その後の日本の悲願となる「条約改正」の原因となるあの条約ですよね。アメリカが勝ち、日本が負けた条約と申せましょう。

    哀れですらある日本ですが、ハリスの勝利は世界の金相場の知識に加えて、日本の金がベラボーに安いと知っていたことが、最大の要因ですよね。
    少なくともアメリカに、北軍に正義があったわけではないのは今回のエントリーで明白。

    では、日本はアメリカの強さに負けたのか?

    確かに、ペリーの威嚇に幕府が大いに動揺したのは確か。

    でも、必ずしもそればかりとも言えないと思います。
    というのは、その後の悲願となった条約改正には「文明国であると”認められる”ことが全ての出発点。それなくして交渉はない」と思い知り、行動し、勝ち取った歴史があるからです。

    小学校6年生のときの歴史の授業で、先生が鹿鳴館を「ダンスを踊ることが条約改正に必要なんてバカだ」と嘲笑っていたのを覚えてます。

    でも、42歳でモナコを訪れたとき、鹿鳴館は必要だったとわかりました。

    世界をよく見なければ、生き残る術はわからない。
    まずは、世界をよく見るべし。

    それが今回の記事が示す「歴史の教訓」だと思いました。

    「障子を開けてみよ。外は広いぞ」by 豊田佐吉

  • さえぴーさん、一番ゲットおめでとさまです!
    連休明けからずいぶんと経ってしまいました。遅くてすみません。何ごともまず好奇心ですね。これがあれば生涯学習できることまちがいなし。歴史は個々にとどまらず、いろいろ影響しあっているところに興味がつきませんね。
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    うさぎくん、
    日米開戦前の日本人の対米感情は少なくともアメリカ人の対日感情よりはずっとよかったといわれますね。おおかたの日本人は「アメリカ相手に戦ってとても勝ち目などない」というのが実状でしたし。ただ「どちらが相手をより憎むか」という争いにおいては、概して日本人はあっさりしすぎているかもしれません。いい意味でも、悪い意味でも。
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    楽庵さん、
    よくご存知ですね。当時の列強国たちは、内戦に乗じて領土を掠め取ろうと必死でしたから、日本に対しても虎視眈々狙っていました。ただ1853年~
    1856年はクリミア戦争でそれどころじゃなく、新興国アメリカはその隙をついて日本の利権を得ようとしたのでしょう。そんな中独立を守り不平等条約を撤廃させた当時の日本人は、政府を始めりっぱでしたね。僥倖です。
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    mu_ne_2さん、
    いつも歴史解釈の見解には感心させられます。ナポレオン三世の絡みについても勘案できるのはさすがです。今回のテーマはもともと「なぜリンカーンはアメリカで人気があるか?」を調べているうちに、ふと気になったことがきっかでです。このハリスってひと、アメリカの立場ではものすごい功労者ですね。またいろいろ記事にしてみたいと思います。
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    はてなさん、
    とても歴史を教えられるような知見はありませんが、学校ではあまり習わなかったような視点を発見するとついうれしくなっていろいろ考えてしまいます。まだまだネタはあるんですが、なにしろまとめるのが大変で・・。またそのうちに。
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    Alinamin2011さん、
    ダーウィンの言葉は、納得させられるものがありますね。それから条約改正には外交だけでなく軍事力という実力も示す必要があったというのも、歴史が示すとおりですね。>「世界をよく見るべし」まさにそのとおり!内にこもらずこの目でしっかり見ていきたいと思いました。

  • 黄金の国ジパングと言われた日本の金も南部の貴族文明と同じく
    南北戦争という「風と共に去り」、戊辰戦争で南北戦争で使用された
    砲弾を英仏経由で買わされ、その80年後にアメリカ南部と同じ風が襲い
    原爆を落とされる・・・・。日本は踏んだり蹴ったりですね!

    ちなみに広島に原爆を落とされた1945年8月6日の日付の数字を入れ替えると
    1865年4月9日、南軍のリー将軍がアポマトックスで北軍のグラント将軍に降伏、
    事実上の南北戦争の終戦日になるのも、何か興味深いですね。

    • ボニーホワイトフラッグ・日の丸さん、はじめまして!
      広島の原爆投下の日と南北戦争で南軍が北軍に降伏した人の関連性は気づきもしませんでした。なるほどですね。興味深いコメントを有難うございました。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。