目が覚め、反射的に時計をみる。
フライトの時間は8時。ギリギリまにあうかどうか。いつの間に眠ってしまったのだろう? アルジェリアに来てからこっち、体のリズムがなってない。歯ブラシをくわえてシャワーを浴び、スーツケースに身の回りのものを投げ入れる。フロントにタクシーを呼んでもらいつつチェックアウト。運転手をけしかけ空港まで急がせ、こんどは空港スタッフにけしかけられながら搭乗口へ急ぐ。ゲートを出ると迎えの車に乗り、荷物を積み終えたばかりの飛行機まで。車を降り、タラップを登り、あきれ顔のフライトアテンダントに出迎えられながら席についた。やれやれ。まにあって良かったが、良くなかったのかもしれない。
空港から市内へ向かう途中、壊れた古い橋げたを見かけた。とっさにローマ帝国時代のものに違いない、と思うが、真偽はわからない。タクシーの運転手はただ、とてもとても古い橋だ、とだけ。
ホテルは近代的なIBISホテルに泊まることにした。フランス資本のホテルで3年前に開業したばかりだという。ホテルに入るにはX線検査装置をくぐらなければならなかった。
▲ Hotel IBIS 正面と部屋
部屋に荷物を置くやいなや、カメラをもって外に飛び出す。地図はもっていないが、橋を探すことにした。橋の絵を描いたメモ帳を見せながら、シディ・ムンドはどこか?と道行く人に聞いてまわる。すぐに人が集まってきて、あっちだ、いや こっちからだ、などとわらわらと人が集まり、教えてくれる。アルジェリア人はほんとうに親切である。それにヒマな人が多い。いつも何か変わったことがないか見張っている。通りは、車のクラクション、モスクからのスピーカー音、子供たちの遊ぶ声、大人たちの怒声、女たちの悲鳴(のような口喧嘩)などで、そうとううるさい。
▲ コンスタンティン中心部
▲ 通りで遊ぶ子どもたち
▲ 大人は立ち話に興じ、子供は走り回る
モスクなのに、ビサンティン様式の教会のよう
ホテルから15分くらい歩いたところで橋が見えてきた。一度写真でみたことがあるが、実物はさらに美しく、断崖絶壁の峡谷はさらに迫力があった。まるで神の怒りに触れてすぐ目の前の地面が蟻地獄のように沈んでいったかのようである。遠くに大平原が広がる。息を飲むとはこのこと。絶景のあまり、口をパクパクさせてしまった。
▲ もっとも有名なシディ・ムンド橋 1912年完成
展望台のような場所がある。
何百メートルも深い峡谷との境は、わずか膝までの低い塀があるだけ。谷の底をのぞき見ようと身を乗り出せば、あっという間に谷底に落ちてしまうだろう。近寄ることすら躊躇される。塀の前でぼくはへなへなと腰を下ろし、立て膝のかっこうでカメラを構えるのだった。観光客はまったくいない。これだけの絶景に、ぼくの他にただのひとりもいないなんてどうかしてる。ラマダンだからだろうか? だとすれば、アッラーの神に感謝である。
▲ 左側の平らな部分が展望台 恐ろしくて見下ろせない。
▲ この峡谷の上にシディ・ムンド橋は架かる
▲ この絶景!数10km先も見渡せる
▲ ここのてっぺんも登ってみた。凱旋門があり、その上に翼のある女神が。地元の人たちの夕涼みスポット。なんと贅沢な!
フランスからの独立戦争では、55年、コンスタンティン地方で独立を標榜する勢力が、34カ所で襲撃が行われた。その報復を受け、こんどはムスリムが大勢虐殺されてしまう。痛ましい歴史は、この地の持つ特殊な地形もあり遡ればいくらでも出てきそうである。攻めるに難く守りに易い。古代ローマ帝国以前は、ヌミディア王国の首都であった。
▲ エル・カンタラ橋。古代ローマ時代の水道橋の上に架かる
▲ ベレゴ歩道橋、長さ125mの吊り橋。対岸にはエレベーターがあり、通りと接続。歩いているとゆさゆさ揺れて、なかなかスリリングです。
首都アルジェと比べると、街はこじんまりとして広くない。それでも人口は54万人。坂が多く道幅が狭いためか一方通行が多い。加えて慢性的に渋滞だらけだ。ドライバーは殺気立ち、クラクションをビービー鳴らす。ビィィィィィィィィーっと長く鳴らすものもいて、うるさいったらない。とくにラマダン時。日の入り直前は空腹がピークに達すろ。あちこちで接触事故がみられた。街にはほとんど信号がないのだ。バイクが倒され、人の手荷物が飛ばされる。
▲ 夕食にありつこうと焦って帰宅する人たち
▲ 暮れなずむ街の風景
日が沈んでも、食事をさせてくれる店はほとんどない。みな、家路につけば家族や友人たちと食卓を囲むのだろう。ひとりで旅をしていて辛いのはこんな時である。ホテルの部屋には、あらかじめ市場で仕入れておいた、冷えたピザパンとフルーツしかない。トマトソースのかかったごく普通のパスタが、このときどれほど恋しかったことか。お腹が空くと、心細さがいっそう増すのだ。
▲ 人々は通りから消え、ひとり、通りに残される
時計の針が9時を回ると、夕食を終えた人々が再び通りに戻ってくる。広場に椅子が並べられ、コーヒーを出す店がシャッターを開け始める。さっそくそのうちのひとつで足を休める。コーヒーを飲み、人々を眺める。彼らは、友人と、家族とで仕入れて談笑したり、議論したりと、思い思いに過ごす。たまらずぼくも声をかけ、仲間に入れてもらったりもした。「ボンソワール!」「おお、中国人か?ニー・ハオ!」「いや、ジャポンだ!コンニチハ」・・こんなふうに会話が始まる。
こうして夜は更け、今夜もきっとうまく眠れないのだろう。そして日の出とともにまた、街を散策するのだ。もしぼくがこの地に生まれたアルジェリア人で、同じように東洋からやってきた異邦人に対して、こんなふうに笑顔で接することができるだろうか?
夜が明ける直前にみせる街の表情が好きだ。
▲ 夜通し友人宅で話しこんでの帰宅。ラマダン期間は長い正月休みのようなお祭りムードがある
▲ 今夜のスープに入れる具材を買って帰路につく少年
▲ 揚げ菓子を朝食にする家庭もある、大量に作ってサッと売る。夜が明けたら食べれなくなるからだ。
▲ 焼いたばかりの「はちみつケーキ」をヴァンに積む少年。甘い香りに誘われてハチがあたりをブンブン飛んでいた。
▲ 夜通し走って疲れてそのまま眠る夜明けのタクシードライバー
▲ 街灯が消え、いよいよ朝を迎えた街
▲ 橋のかかる渓谷の向こうでまどろむ街。この景色は一生忘れないと思った。
- 今回の旅はiPad miniで更新中
前回まではMacノートとワコムのタブレットを持ち歩いてだけに、この軽さとかさばらないことには すごくありがたみを感じます。でもイラストはやっぱり描きづらいね。おまけにスタイラスペンをガルダイアでなくしちゃって、今回のも実は指で描いてます。とほほ。
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