「大人の女になりたい」
女性雑誌の定番タイトルである。
そうえいば、「大人の男」というのも男性雑誌の定番だ。
雑誌やメディアだけではない。 普段の会話の中でも「大人の○○○」という会話は日常的に頻度よく聞かれる。
でも考えてみれば、年齢的にはとっくに大人なひとたちが、いまだに「大人の女」、「大人の男」がどうのこうの言っているのもおかしな話だ。 そんなことを、成人式2回分以上生きてきたぼくが言っていること自体、まともじゃないけど・・・
たとえば「大人の女になりたい」という心理にはどういう背景があるんだろう? はっきりと定義するには多様すぎるテーマだ。 とはいえ、「芸能人や有名人ならこの人」といったように、なにかしらのアイコンは存在するはずだ。 松田聖子とか白州正子あたりがそうだろうか、あるいは?
少し前に映画化された”Sex and the city“に登場する女性たちもまた、「大人の女」のアイコンかもしんない。 香港に住んでいたころ、まわりの独身女性はこれを絶賛していたのを思い出す。
さっそく勉強のためにと、年末にWOWWOWで放映されていたのを録画しておき、先日それを視てみた。 だいたいわかったのはこのドラマの主人公たちは一様に都会に住み、キャリアを持ち、独身で、ファッショナブルで、男を物色するのを楽しんでいるということか。
この手のドラマ、男が視聴するにはいささか辛いものがある。 映画版は大ヒットしたとのことだけど、おそらくカップルで見に行くタイプの映画ではないだろう。 もともとTVドラマに免疫がないぼくにとっては、話の展開についていけない。 何かの雑誌に書いてあった「センスのいい会話がウケている」という前評判については、これはもうぜんぜん理解できなかった。 でも、あんがいこの”会話のセンス”がわかるかどうかで、その男が「大人の女にモテるかどうか」判別されるのかもしんない。
ともあれ、男女それぞれが「大人の・・」という形容詞を必要とする心理こそにぼくは興味がある。 なぜ日本人は「大人」という言葉に弱いのだろう?
これについてはまた、機会があれば書きたいです。
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