「自由時間が3時間もあるならいいほうですよ」
先日の記事を読んだ友人M氏はそう言い、鼻の穴を膨らます。 M氏は妻と子供2人で神奈川県にあるマンションに住む41歳(♂)。 都内の通勤先から週に3日は終電で帰宅するも、そこに自分専用の部屋はない。
「ぼくなんて帰宅して30分くらいテレビ観たらもう寝る時間。子供とかみさんを起こさないよう、電気もつけず音もたてずにそっとベッドにすべりこみむんです」
ふと、マトリックスの弾避けのシーンが脳裏に浮かぶ。 「一家の主なのに・・」と泣けてくる。
そんなM氏が心安らぐプライベートタイムは、もっぱら通勤時間なのだという。 片道1時間半の小トリップ。 郊外という利点から朝は座れることもあるらしい。
都心に住む日本人サラリーマンの宿命として「満員の通勤電車」は避けられない。 身をよじることすらままならない地獄の通勤時間は、しかし一部では肯定的に支持されていたりもする。 とくに家庭を持つお父さん達にとっては、「唯一、ひとりになれる時間」、「思った以上にいろいろ出来る時間」、「会社や家庭の煩わしさから解放される時間」などと、その固有の時間と空間を楽しんでいるむきもある。
このあたりは、外国人には何度説明しても理解してもらえない気がする。 ぼくにしたってうまく納得できない。 通勤地獄が叫ばれて60年間、いっこうに改善されないのは、社会や国民そのものに欠陥があるんじゃないかとすら思う。
M氏は言う。
「携帯ゲーム機が売れたのも、ケータイ電話がどんどん多機能になったのも、この通勤地獄文化あってのことなんですよ」
”文化”といわれても困るけど、言われてみれば確かにそんな気もする。 長い通勤時間はiPodの普及にも貢献したのかもしれない。 新聞や本を読むことすらままならないすし詰めの車内。 しかし日本人は制限や不自由があって初めてその本領を発揮するのだ。 もとより偏差値教育を受けてきた集団である。 受験生に求められるのはフリーアンサーよりも、2択・4択といった制限の中から正しい解答を選ぶことであった。
「設問にふさわしい答えを以下の4つからひとつ選びなさい」という問いに対し、つい5つ目の解答をひねりだそうとするぼくは落ちこぼれ組であり、エリートほど「答えは選ぶもの」という認識が強い。 「選択と集中」である。 フリーアンサが好まれない社会においては景気の良し悪しに関わらず、これを事業戦略の要に置きたがる経営陣は多い。 過去の成功事例が役立たない21世紀においては、たいてい間違えちゃうんだけど。
話がそれてしまった。 満員電車である。
不自由な環境で如何に最大値を求めるかにおいて天才的な日本人は、通勤時間を書斎にし、オーディオルームにし、ゲームセンターにし、あるいは移動オフィスにし、仮眠室にした。 ワンセグケータイやデコ・メールの類いは欧米人には必要のないものだろう。 しかも日本で一番ダウンロードされているポッドキャスト番組は意外にも英会話モノだという。 涙ぐましい向上心ではないか。
また、まわりの騒音を消しながら音楽を聴けるノイズキャンセリングイヤホンが売れているのだと聞く。 かつては数万円もした高級品だったのが値段も一万円を切り、主流は7000円台。 性能や取り回しもずいぶん良くなったようだ。 これをつければ騒音だらけの電車内も快適に音楽が聴けそうだ。 「目を閉じればそこは自分だけの空間」に一歩近づけるのだ。
△ ノイズキャンセリングイヤホンの一例. 各社からいろいろ出ている
通勤時間はまた、ジムに行けない多忙(ものぐさ?)なサラリーマンにとっては運動不足を解消する場でもある。 ワコールからでたクロスウオーカーという下着。 履いて歩くだけでジムでエクササイズしているのと同じ運動量が得られ、体脂肪がどんどん燃焼していくという噂だ。
M氏の経験では(あるんかい!)、「履いているだけで筋肉痛になってしまった」らしいのだ。 それだけ筋肉に負荷がかかり、脂肪が燃焼しているということなのだろう。 言われてみればM氏、確かに以前より腹回りがすっきりしたようにも見える。 駅構内の移動をエスカレーターでなく階段にすれば、さらに効果がありそうである。
△ wacol クロスウオーカー 効果については「スタイルサイエンス研究所」に詳しい
なるほどなあ、と思う。
都心に満員電車がなくならない理由は、「不自由あっての知的発露」を得意とする日本人の性分そのものなのかもしれない。
技術大国ニッポンは、きょうも通勤地獄で磨かれるのだ。
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