昔見たイタリア映画の、子供がいっしょうけんめい父親の靴を磨くというシーンがとても印象的だった。 父親が子供に革靴の磨き方を教えるというのは、「古き良き習慣」のようであり、なにかしら強い親子の絆を感じさせられるものだ。
靴磨きの習慣はきっと、その子の一生の財産になるのだと思う。
銀行員が融資をするかどうかを決めるのに、借り手の履いている靴を見て判断すると聞く。 もちろんいくぶん誇張があるのだろうけど、足もとは大事なのは間違いなさそうだ。 人目につかないだろうからと、スーツやネクタイと比べ靴をおざなりにしていれば、文字どおり揚げ足を取られかねない。
駅やデパートのトイレで、洗面台を占領して鏡の前で念入りに髪型をチェックしてる男たちを見かける。 あまり熱心すぎるのも考えものだけど、それより履いている靴が異常に汚れていたり、革靴なのにかかとが踏まれているのを見ればとても残念な気持ちになる。 オシャレな人だけに、よけいにイタいのだ。
例えばヨーロッパ人はジーンズなどカジュアルな格好をしていても、たいてい革靴を履いている。 ぼくも20〜30代のほとんどをそこで過ごした影響からか、あまりスニーカーを履かなくなってしまった。
そのころいっしょに仕事をしていたノエルという男は、フランスでは赤ん坊の誕生日に革靴をプレゼントする習慣があると言っていた。 「キャンバス地は洗えば縮むけど、皮は成長に合わせて大きくなるからね」、と。 なるほど。 言われてみれば、確かにそんな気がする。
同じくノエルは、初対面の相手の性格を知るには、履いている靴を見ればわかるとまで豪語していた。 ポイントは「ひも」。 それがあるかどうかで性格が見分けられるのだ、というのだ。
彼の説明によると「紐あり」は、目先にとらわれず将来を見据えてコツコツ努力するタイプで、「紐なし」は何ごともせっかちで早く結果を出したいタイプ。 つまり、じっくり長期戦の「紐あり」、短期決戦型の「紐なし」ということらしい。
たまたまその日履いていたのがひも付きだったり、そうでなかったりすることもあるから、それだけで決めつけるのもどうかと思うが、「紐」の有る無しで、相手を見分ける方法があるというのもなんだか面白い。 ことビジネスにおいては、パートナーとしてふさわしいかどうか、瞬時に判断しなくちゃいけないこともある。 まして人種が違えばなおのことだ。
ノエルからそのことを聞いて以来、ぼくは自然と相手の履いている靴が気になるようになった。 結果から言えば、当たっているようでもあり、そうでもない気もする。 でもこの「見分け法」がわりと普遍的ならば、逆を取って「どう見られたいか?」によって、その日履いていく靴を選ぶことも出来るではないか。
まあその辺はどちらでもいいのだけど、それより「オシャレをしているのに意外と靴が汚いひと」に出会うとドキッとする。 なんだか少し身構えてしまうのだ。
そんな人がたとえまともなことを言っていても、実はウラがあるんじゃないかと疑ってしまう。 銀行マンが靴を評価の対象にするのもちょっとわかる気がする。 さらに、スーツや髪型がキマッていれば、そのぶん余計に靴とのギャップが気になって仕方ないのだ。
ともあれ、
「靴は口ほどにものを言う」
お互い気をつけたいものですね。
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