「お化粧が上手ですね」
男からこういわれたら、女性としてはなかなか複雑である。 んじゃないかと思う。 日本人女性の化粧の上手さはジャパン・カルチャーとして世界に誇示していいとぼくは純粋に思うのだけど、それはそれで意見の分かれるところだ。
まだ10代後半の頃までのぼくは、「化粧するような女は嫌いだ」と公言してはばからなかった。 たぶん、若かったのだろう。 心も身体も飾らないのが一番、だと信じ込んでいたふしがある。
でもさすがにこの歳になると、女性を見ても「化粧部分は織り込み済み」でとらえられるようになった。 おそらく体系もそうだろう。 だから、目の前で女性がスッピンになろうと、スッポンポンになろうと、若いときほどギャップの大きさにがっかりすることはなくなった。 それよりも、むしろ自分にがっかりされることのほうが辛い。 辛いと思ったところで、どうするわけでもないのだけど・・・
もっとも、女性のスッポンポンが見られるシーンそのものが減ったのは、いささか寂しいものがある。
ある調査*1によると、女性の「スッピン」を見てがっかりした男たちは、44%もいるのだという。 全員でなくてよかったと思うものの、ちょっと多い気がする。しかも、
- 20代男性 33.7%
- 30代男性 44.3%
- 40代男性 57.7%
というふうに、年代が上がるほどに「スッピン」にがっかりしてしまうようなのだ。 ほんとかな? と思う。 まともな男なら、歳を経るにつれ、どこからどこまでが装飾かぐらいわかりそうなものだ。 (もっとも、日本人女性の素肌が年々キレイになっているのは間違いないと思う)
ついでにいえば、人間は歳を経るごとにインサイトが強まる。 「見た目」だけでなく「識見」で相手を見るようになるのだ。 五感や経験値など複眼的に相手をとらえるから、いくぶん視覚上の変化があったとしても必要以上に「がっかり」したり「興奮」したりしなくなるものだ。
「人間は見た目が9割」というし、それはそれで正しいのだろう。
けれども、見た目から得られる情報量は、年齢を重ねればそれなりに増えるものだし、見た目だけで誤魔化されなくなるのもまた事実だ。
着飾ることを互いに許し、同時に着飾ることの虚しさも知っている
というのが、オトナの分別だとぼくは思う。
*1:アイシェアリサーチが行った調査
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