雨が降るたび、傘が増える。
家の傘立ては真新しいビニール傘でいっぱいだ。コンビニで売っている傘より多いんじゃないか、という気すらする。この計画性のなさはなんとかならないものか。
むかしの天気予報、たとえばヤンボーマーボーの時代、あのころ予報はあまりあたらなかった気がする。当たらないことに安堵すらした。やっぱり降らなかったじゃないか、と。ところが最近の天気予報は当たるどころか、場所ごとに1時間ごとの天気がわかる。朝の予報で「東京渋谷区は午後3時から雨」。するとほんとうに渋谷で3時に雨が降る。気象衛星はいい仕事をする。だから傘の用意をと予報士は言うのだが、そうしないのがぼくである。あいかわらずしばらく濡れ、あきらめて近くのコンビニで傘を買う。くりかえされる罰ゲームのように。
自分の感じていること、考えていることは、なかなか自分ではつかめない。わかっているのにやめられない。わかっているのにやろうとしない。動機があって意志がある。だけどときどき反転する。
ぼくは旅好き、というか生きることじたいが旅だと思っているから、ついおかしなチャレンジをしてしまう。雨なのに傘を持ちあわせなかったり、しなくていい苦労をしたり。あるいは苦労を迂回しようとして道に迷ってしまったり。そして迷い道も旅なんだからとひらきなおったり。
旅に必要な地図もこのごろはとても高性能で、自分のいる位置も教えてくれるし、道順ももっとも最適な方法で教えてくれる。これならだれでも迷わなくてすむ・・・はずなのに、ぼくはやっぱり迷う。雨にもぬれる。むしろ増えたんじゃないかってくらいに。
林深ければ鳥が棲み
水広ければ魚が泳ぐ
旅のつれづれに器が大きくなる。
もしそうだとしたらうれしい。おかしなチャレンジも、あちこち頭やからだをぶつけながら過ごしてきたのも、その肥やしなればこそかと思うから。
最近のコメント