みんな持っているのに自分だけ持っていないことの不安。
それを解消するために、まわりと同じものを買っていた時代がかつてあった。 昨今のような個人消費の時代では、もうその必要はなくなったと誰かが言う。
はたしてそうかな? と思う。
個人消費の時代かどうかはともかく、「他人が持っているものを自分でも買う」 という行為は、所有欲よりも他人とつながりたいという行為なのではないか、とぼくには思える。
そのほかにもたとえば旅先で買う「おみやげ」、
メールや友人たちとの通話に使う「電話代」、
結婚式などお祝い事に渡す「プレゼント」、
行列のできる店で買う「ドーナッツ」
不況にもかかわらず、この手の消費は減るどころかむしろ増えている。 バレンタインチョコひとつとってみても、単価はますます上がっているのが実情だ。
ぼくは思うのだけど、人間関係が希薄になりがちなこんな時代だからこそ、他人とのつながりをより求めるんじゃないだろうか? 「相手に喜んでもらいたい」と思う心理には、「自分の存在を確認して欲しい」という承認欲求が見え隠れする。
生きていくためには自分の居場所が必要だ。
そして、できれば自分の存在を喜んでくれる人のそばにいたいと思う。 そばにいずとも、自分がいることを感じて欲しいと願う。
オタクがガンプラを買うのも、鉄ちゃんがNゲージを集めるのも、たぶん同じ趣味を持つ仲間とつながりたいからだ。 ほかに欲しいものを我慢してもケータイを手放せないのは、やはり仲間とつながっていたいからだ。 1時間以上も並んでドーナッツや塩キャラメルを買っていたのは、自分用だけではなかったはずだ。
消費のあたらしい定義、「つながり代」
つながりたい、から「つながり代」
不況にあっても、いや不況により不安にかられるからこそ、ぼくたちは消費を「人間関係を育む道具」としたいのかもしれない。
これからのヒット商品には何かしらの「つながり代」が関連してくるように思えます
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