何か犯罪事件がおこっていても
マスコミや世間が騒いでいる間は、あえて関心を持たない。
ノイズが多すぎて、文脈がよく読み取れないからだ。
「物騒な世の中になったわねえ」と大衆の一人はいうが、
気付けば、もう何十年も同じセリフが繰り返されている。
言っているのではない。 言わされているのだ。
わざわざそのひとりになりたいとは、思わない。
2008年6月に起こった「秋葉原通り魔事件」。
事件の起因は犯人の個人的な事情だけど、
理由のひとつは「強い承認欲求」であろう。
これはある意味普遍的なことなので、
同じ理由で似たような事件が起こる可能性がある。
人はだれしも認められたいと思っている。
もっといえば尊敬されたがっている。
けれども、現実は厳しい。
ひとは容易に他人をバカにしたり軽視したりするけれど、
かんたんには他人を認めたり、尊敬したりはしないものだ。
自分は努力しているつもりなのに、
周囲の人たちから認められず、
いたずらに自尊心を傷つけられてしまう。
「自分の存在を認めてもらえない」
というのは、実に辛い。 だれもが経験あるように。
自分なんて、そのへんに転がっている石ころ。
だれも関心がないし、ましてや愛してはくれない。
そう思わないわけにはいかない人も、中にはいる。
「有名になりたくてやった」
たかがそんな動機で、大きな犯罪をやってしまう。
ほんの少しばかりの思慮があれば、と思う。
けれども加害者の多くは、被害者妄想から来ることが多い。
悪いのは、むしろ周りの人間だと思っているふしがある。
「被害者暴走」
そんなひとたちのことをぼくはそう呼んでいる。
暴走させる背景に、強い承認欲求がある。
マズローの欲求5段階説がいうところの
「自尊の欲求」にあたる部分である。【下図参照】
■ マズローの欲求5段階説図
*矢印の太さはよりパワーを必要とするところを表現しています(なおきん作成)
人間はまず生きるために飢えないよう要求し
次に、病気や事故に遭わないよう要求し(1)
次に、帰属できる人や社会を要求し(2)
次に、自分の存在を認めてもらうよう要求し(3)
そして、なりたい自分が実現できるよう要求する(4)
いまの日本で飢えや雨風を防ぐのはそんなに難しくはないけれど、
帰属(愛情)の要求や承認(尊敬)の要求については
むしろ以前より難しくなったのではないか。
これが満たされないままオトナになったり
仕事をするようになったりする人たちもいる。
愛情や帰属がなく、さらに承認もされず
「自分らしく」だけを満たすにはやはり無理がある。
だのに世の中は「自分らしく!」の大合唱。
これにおどらされ、
(2),(3)のステップを経ないまま自己実現を目指せば、
これに代わるなにかしらの「代理欲求」が必要になる。
脳が身もだえするほどのエネルギーの噴出とともに。
そしてある人は「物欲」に
またある人は「セックス依存」に
またある人は「おせっかい」に
またある人は「他人を侮蔑する行為」に
そしてこの犯人は「大量殺人」。
表現はまったく違っても、根は同じなんである。
人間の自尊心というのは、ときにやっかいだ。
それはぼく自身についても同じことである。
子供の時に出ていった母親の愛情の欠如を、
あろうことかぼくは、日本という国のせいにしていた。
「日本では、ぼくという人間を使いこなせない」
「ぼくに日本は小さすぎる」
いまなら赤面どころか大笑いだけど、
10代後半のぼくは、大まじめにそう考えていたように思う。
その意味で、「母国」とは言い得て妙である。
つまり、ぼくの代理欲求は「海外脱出」であった。
次回「誰もが認められたい(後編)」に続きます
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