ミクシィが苦手なブロガーは意外と多い。
どちらも苦手な人はもっと多いと思う。
ぼくもそう。
ブログこそ5年近く続いているけど、ミクシィなどSNSは
もうずいぶんログインしていない。
どうも必要性を感じないのだ。たまたまなのかもしんないけど。
80年代半ばに「大衆」に対し「小衆」なる言葉が生まれた。
核家族化が進み、個性を重んじる風潮が強まったことから、
大衆がどんどん分裂し、小さな衆となる様を表したもの。
たしかこのコトバ、1985年の流行語大賞をとっていたと思う。
ついさいきんでは、
「網衆(ネットワーク衆)」なる言葉まで登場した。
ここに分離しているだけでなく、個人個人が持つ趣味や嗜好、
あらゆる共通項でつながっている様を表している。
かつてリアルしかなかった時代には、そのような結びつきは
学校や会社、家族や地元地域のような場所でしかなかった。
それがミクシィなどでは場所に関係なく、プロフィールで知り
育み、場合によってはリアル以上に深く知りあうこともある。
「出会い系」「コミュニティ」、様々なきっかけを通じて。
ぼくはヒマさえあれば総務省のデータを観察しているのだけど、
中でも世帯タイプがここ四半世紀でずいぶん変わっているのを
とても興味深く思っている。
単独世帯、つまり「おひとりさま」がついに世帯数で首位。
10年後には、さらに2位以降との開きが出ると予測されている。
▼ タイプ別世帯数推移 (1980 – 2020)
【出典:国立社会保障・人口問題研究所】
是非はともかく、日本は間違いなく「ひとり住まい」大国だ。
そしておそらくは「高齢者」の割合が大きくなるはずだ。
これはつまり何を意味するか?
「網衆」は必然であり、ぼくたちは今以上になんらかの
ネットワークに帰属せざるを得なくなるんじゃないだろうか。
助けあい、支え合う。 あるいは相互補完する人と人。
普段ひとりで平気な人も、病気になるととたんに弱くなる。
そんなとき誰かが寄り添い、必要なものを与え、励ます。
そんなサービスがあたり前に存在するのが望ましいが
国や自治体は財政難で、いま以上に余裕がなくなると思う。
そもそも国に救ってもらうことが、しあわせなことなのか?
ネットであれリアルであれ「互助」の施策がこの国には必要だ。
どうするか? 自分がやるとしたら何ができるか?
そのことをぼくは、わりあい真剣に考えている。
個人的にも、会社的にも。
■ ある日、晴れた日の東京タワー
街を歩いていると、冬の空に鮮やかにそびえ立つ東京タワーが見えました。それにしても東京タワーってどうしてつい写真を撮っちゃうんだろう?
ときどき高いところを見上げ、高いところから見下ろしてみる。きっと発見があります。
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