なじみの本屋がまた、閉店した。
聞けばここ10年で3ぶんの1もの本屋がなくなったという。
大型チェーン店の台頭、アマゾンの台頭に加え、
読者の本離れも著しい。 時代なのだ。 しかたがない。
さらには、電子書籍。 ダウンロードメディアへの転身。
音楽がそうであったように、書籍もまた然り。
流通とメディアは、時代の潮流をもろに受けるのだ。
定期購読している雑誌のうち、この3月で
フォーサイトと、アスキービジネスが休刊というお知らせ。
書店も減れば、愛読雑誌もなくなっていく。
そぞろ寂しいではないか。
残る定期購読紙はクーリエジャポンと、ナショジオ。
どちらも捨て難く良い雑誌。 無くならないでほしい。
「古き良き時代」と、
淘汰される人々は顧みながらつぶやくのだろうが
読者もまた無傷ではない。 流血はないにしても。
子供のころ、本屋さんの独特の匂いが好きだった。
紙とインクと、それから木の匂い。
そこにいるだけで頭が良くなるような気がした。
気がしただけ、だけど。
思うに、経済合理性や効率ばかりで優劣を決めることに
ぼくたちはあまりにも不感症になっている。
安いから、便利だから、みんながそうしているから・・・
気がつけば街は、チェーン店とパチンコ屋と100円ショップ
に占拠されている。 マック、ユニクロ、吉野や松屋・・・
地方に行こうとも、風景にはおなじみの看板が並ぶ。
昭和を知るぼくたちの世代は「そこにしかない個人店」を
固有の思い出としてかろうじて持つ。
チェーン店は「どの場所にあってどこも同じ味」を
もたらすけど、それまでだ。 固有の記憶が残りにくい。
ざらりとした情緒もない。
やがて、そこに価値を見いだすこともなくなるのだろう。
摩擦や非効率といったものは、ときとして味がある。
考えてみれば人間本来が持つ耐性は、
それらがふんだんにあるおかげで育まれたともいえる。
安易に「ストレス社会」などと、ひとは言うけれど、
つるんとしたシステムに飼いならされて、
抵抗力がなくなっちゃってるのかもしれない。
やがて本屋の記憶が薄まり、指に紙の記憶がなくなるころ
ぼくたちは、どんだけひ弱になっているんだろうかと
どんだけストレス耐性が低くなっているんだろうかと
しなくてもいい心配をぼくは、つい、してしまうのだ。
とはいえ、満員電車では電子ブックが活躍しそうですね
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