部下から怖れられるリーダーであるべきか、
それとも、慕われるリーダーであるべきか。
どちらも正解であり、不正解だと思う。
マキャベリーや織田信長は前者を採ったが、
21世紀においては、後者を支持する向きが多いだろう。
はじめて部下を持ったのは24のとき、あのころは
むしろ「怖れられる」よう部下に接していたと思う。
まだ、パワハラもパラパラも定義されてなかった時代。
職務権限はしばしば「力」によって確認されたのだ。
本来、デキる部下というのは
自分の意見を持っているぶん、主張も強い。
本人がやりたくないことを、
ただ「やれ」と命令したところで実際には動いてくれない。
むしろ異議を唱えてくるのがあたり前だ。
その点、デキない部下のほうがあんがい従順だったりする。
面倒くさいからと、従順な部下ばかりを近くに集め、
異議を唱えたり、楯突く部下を遠ざけていれば、
その組織は自然に弱くなる。
新しいことをはじめればことごとく失敗し、
使い古された勝ちパターンにすがるまま、時代に捨てられる。
結果、誰も幸せになれない。
かつてぼくが見てきたダメなリーダーは、概して
自分の考えを部下に押し付け、皆を一律に縛ろうとする。
こともあろうに、これをリーダーシップと誤解する。
自己顕示欲が強く、自分のイスだけ立派なものに換えたりする。
主体性が奪われると、ひとはとたんにやる気を失うものだ。
ぼくがそうだし、たぶんあなたもそうなんじゃないかと思う。
意欲とはもともと主体的なものである。
まともな人間なら、制約があればあるほど萎縮してしまうのだ。
創造的な人間が萎縮すれば、能力は発揮されないまま腐る。
どれほど優秀な人間を集めたところで、その組織は腐り、散る。
「ピグマリオン効果」を聞いたことがあるだろうか?
ピグマリオンとはキプロスの王様で、彫刻家。 ある日、自分の彫った彫像に恋してしまい、その念があまりにも強かったために、彫像が人間になっちゃったというおなじみのギリシャ神話である。
△ ピグマリオン【ラモーのオペラより】
「この子は、ひとかどの人物になる」と信じて育てていれば、
ほんとうにその期待を実現するものだ。 ということをいう。
そういう意味で、世の教育ママが信条としていることに近い。
要するに相手を「どういう目で見るか」が大事なのだ。
本人のよい面、努力した面をまず認め、しっかり評価をする。
その上で役割と使命に意味を与え、自らの存在価値を味わわせる。
書いてみるとカンタンだけど、実際はなかなかしんどいものだ。
忍耐力が要るし、周りからバカだと思われる。 時間だってかかる。
でもやるのだ。
いったんめざす方向を決めたら、
その気にさせ、本気にさせる。
見習うべき多くの先輩のおかげで自分もがんばれたのだ。
同じことが自分にできない理由は、ない。
「努力」ってコトバ、若いころはキライだったけどオジサンになるとスキになってくるから不思議です
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