お店で欲しいものを買ったとき、
家に帰るまで待ちきれなくて
思わず包装をといたりしたことがないだろうか?
ぼくには、ある。 わりと楽しいひとときだ。
それがいまじゃ、
買ったものを数日ほったらかすこともしばしば。
ひどいときには「買ったこと」すら忘れたりする。
もともと、買い物とは「お出かけ」とセットされていて
ある程度の「労働対価」というものがあった。
国外でしか手に入らないものは、国外で買うしかなく
手に取りこの目で確認しない限り、買わ(え)なかったものだ。
それがいまじゃどうだろう?
ネット通販のおかげで、外出しなくても買えるようになった。
かつてはありえなかった「自宅で衝動買い」ができちゃうのだ。
外出するならシャワーを浴びて、髭を剃り、ジャケットをはおり
女性ならばメイクもばっちり決めるものだけど
自宅でならすっぴん、ほつれたパンツ、おならだって平気だ。
緊張感がまるでない。 ありがたみの、かけらもない。
ゆるんでいるのは、なにもパンツだけではない。
たいてい店員に薦められても警戒して買わない人が、
「買って良かった!なんて口コミもあるし・・」
とつい気がゆるみ、つい財布のヒモもゆるんでしまう。
しかもここまでの労働対価は「指先クリック」である。
買ったことへの実感や臨場感なんて、まるでない。
財布の中から現金が消えていく光景すら見ていないのだ。
買い物をするときの『ウキウキ感』。
思えば子供のころはガムひとつ買うにも気分が高揚したものだ。
おそらく希薄化する気分は時代のせいだけではないのだろう。
あるいは「歳をとる」ということも、あるのかもしれない。
だとすれば、高揚感を失うというのは物悲しいものである。
一人そんなことを思いつつ、遅いランチをとっているとき
後ろのテーブル席から、女の子同士の会話が聞こえてきた。
(職場のすぐそばに女子大があったりする)
「でさあ、やっぱりオジサマのほうが余裕あるからいいよね〜」
歓迎すべきセリフである。
ふだんなら「そうかそうか」と相づちを打つところでもある。
「なんならためしてみるかい?」と振り向くところである。
けれども、その「余裕」という正体は、
ウキウキしたり、ワクワクしたりといった
高揚感が減っていく「老化現象」といえなくもない。
など考えれば、
「買ったものを待ちきれなくて開けてしまう」というのは、
「ホテルまで待ちきれなくて脱がしてしまう」のと似てないか?
若さはときにせっかちと同義だが、過ぎれば眩しくもあるのだ。
そんなオジサンの体内時計は、いつも遅れがちでございます。
なにかと「あとまわし」しがちなのも要注意ですね
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