ロシア文字になじめず、街中でよく立ち往生した。
メトロの駅で乗り換えようとするのだけど、目的の駅の名前が判別しない。 単語の記憶には「音読ができる」ことが必要だとあらためて痛感した。 20数年前はこのロシア文字やキリル文字が読めていたのに、と自分の不甲斐なさを呪う。 が、使わなければ記憶もまた薄れ、やがて消滅するのが運命なのだ。
立ち止まって地図を見ていると、たいてい誰かが寄ってくる。
アジアやアフリカ諸国の人たちのように、物乞いや詐欺師の類いは少ない。 まあ、中にはスリもいるのだろうけど、ほとんどは行き先を教えてあげようと親切に話しかけてくるのだ。
あいにくぼくはロシア語を解せない。 だいいち解せないからこそ立ち往生しているのだ。 試しに「英語は話せますか?」とか「ドイツ語は話せますか?」などと聞いてみるのだが、それすら相手はよくわからないようだった。
▲ 地下鉄のプラットフォーム:博物館並みに重厚なのだけど、何しろ路線図が複雑で案内に不慣れなために苦労させられた
明らかに東洋人のぼくに何のためらいなくロシア語で話しかけてくるのは、ロシアには多くのアジア人が暮らしていてロシア語を母国語のようにしゃべるからだと推測する。 だから、この東洋人もしゃべれて当然と思ってしまうのだろう。 そういえば、モスクワでは普段あまり見かけないタイプの東洋人を多く見かけた。 そのほとんどはモンゴル人か中央アジア人だ。
サンクトペテルブルグ行きのチケットを買おうと窓口を探すのだけど、これがなかなか見つからない。 ロシアには様々な種類の鉄道がありチケット窓口がそれぞれ違う、さらに行き場所によって駅も違う。パリと同じである。 だから、長い時間をかけて順番待ちをしていても、違っていたら「バカだね、そりゃあっちだよ!」と、アゴであっちの方向を示されておしまい。 やれやれはじめから並び直しである。
それからうろうろと別の窓口を探し、ふたたび列の最後尾につく。
▲ チケット売り場窓口の前に群がる人たち(ちなみに駅構内は撮影禁止である)
朝から何も口にしていない。
せめてコーヒーくらい飲んでおけばよかった、と思い始めた頃にようやくぼくの番がやってきた。 このために、あらかじめ英語が話せるホテルの人にたのんで、メモ書きを用意しておいたのだ。 行き先と時刻、便名、寝台車の種類とクラス。 ベッドは下の段で。 とまで書かれている(はずだ)。 これを見せれば労なくチケットが手に入るはずだった。
「これがあれば大丈夫よ!」
と、ホテルの女の子はそういってウインクしてくれた。
▲ これがそのメモ書き。これがあとでとても重要になることに・・
ところがコトはそうやすやすとうまくは運ばない。
窓口のおばちゃんは、ひとこと「ニエット(ありません)」と、つれない態度。 ちょっとまって! 朝から2時間も列に並んだり、並び直したりしているのだ。 席が空いている別の便を提案するなり、何かほかにしてくれたっていいじゃないかと思う。 しばらく英語でまくしたてていると(どうせ通じないのだけど)、背中をつつく者がいる。
ふりむくと、スキンヘッズの熊みたいな男が「おまえ、ギブアップ、うしろ、まだ大勢、待っている」などと、へたくそな英語で抗議してくる。
ハゲ熊にかまわずぼくは前へ向き直り、交渉を続ける。 待たされるのはお互い様だ。 窓口のおばさんはガラスの向こう側からマイクを通じ、通じもしないロシア語であれこれまくしたてる。 「わからないから、そこに書いてくれ」とぼくは紙を指差し、なにか書くふりをする。
すったもんだのあげく、ようやく希望した便より2時間早い列車の個室(4人部屋)寝台車チケットをゲットすることができた。 値段は2700ルーブル。
おばさん、やればできるじゃないか。
▲ 赤の広場からカラフルなワシリー寺院を望む
▲ ワシリー寺院(ポクロフスキー寺院). 近くでみると圧巻、まるでガウディ
▲ 黄金の屋根がきらりと輝くクレムリン
▲ 典型的なスターリン建築である高層ビル。まるでブレードランナーの世界である
出発まで7時間。
ぼくはレニングラード駅を離れ、ひととおりいきたかった場所を駆け足で回る。 折しも観測史上最悪の猛暑のモスクワ、気温は35度を超えている。 駅構内には冷房はない。 待合室に設置された温度計には39度と表示されていた。 今年も大勢死ぬのだろうと思う。 死因は暑さに耐えきれず、酔ったまま川に飛び込んで心臓マヒ。 ロシア人は概して寿命が短いが、原因のほとんどは酒の飲み過ぎである。
▲ 一瞬だけ40度と表示されたりもした、猛暑モスクワ恐るべし
余裕を持って1時間前には駅に戻り、預けていた荷物を持って構内ロビーへ。 ここにある掲示板にどのホームから出発するか表示される・・のだがしかし、なかなか自分の乗るはずの列車が表示されないではないか。
遅れているのかな、と思ったが、念のためインフォメーション窓口へ照会してみる。
「このチケット、なんとかという駅から出発です」
レニングラード駅からじゃなかったのだ。 そんなこと、チケットのどこに書いているのかも、ここ以外の駅から出発することすれも知らなかったぼくは、「その駅はここからどのくらいかかりますか?」とジェスチャーで聞くと(インフォメーション窓口くらい英語のわかる人をおくべきだと思うが)、時計をちらっとみてから首を横に振り、「チェインジー!」と、まるで神の啓示のようにきっぱりと言い放つのだった。
がっくり肩を落とし、ぼくは再び窓口へと向かう。
これはきっと試練なのだと思う。 東京でラクをしすぎたからだと。 言葉が通じ、まるで神様のように扱ってくれるサービス。 いつしかそれを当たり前と思い込み、スポイルされた自分。 東京にいると身体がなまる原因のひとつだ。
駅構内は夜でも気温が下がらない。 時おりひんやりした風が腕のあたりをくすぐる。 冷気はチケット売り場の窓口から漏れている。 ガラスのあちら側ではエアコンが効いているようすだ。
ロシアでは、お客より従業員こそが神様である。
その神様のありがたいお言葉を聞くために、長い列の最後尾につく。 やけに人が多いのは金曜日の夜であるからだろう。 並んでいても何かと割り込んでくる人たち。 「ゆずってくれ!急いでいるんだ!」とでも言っているのだろう。
暑い・・・ 誰もが汗を額から首筋に流している。 やたらとのどが渇く。 が、水はない。 トイレにも行きたい。 座りたい・・・
試練なのだ。
ぼくはつばを飲み込み、がまんする。
1時間が過ぎ、ようやくぼくの番になる。
祈るような気持ちで、ダメもとで、ホテルの女の子に書いてもらった紙を窓口のおばさんにわたす。 パスポートも渡す。 あんのじょう顔をしかめ、首を横に振るおばさん。 ぼくは両手を顔の前で組み、哀願のポーズをする。 もう、やけくそである。 額の汗がつたって目に入り、じんとしみる。
渡した紙にじっと目をはわせていたおばさんは、次の瞬間席を立ち、何も言わずオフィスの奥に引っ込んでしまった。 あっけにとられたが、ロシアではよくあることなのだろう。 周りの人たちは動じない。
10分ほどして、おばさんが戻ってきた。
メモの紙になにやら書きこみ、窓の内側からこちらにむけてぺたりとそれを貼付けてみせる。
「23:55発 002番 サンクトペテルブルグ 3700ルーブル」
ハラショー!
そのチケットこそ、けさ「もう席がない」と窓口で断られた
寝台特急『レッドアロー(赤い矢)号』のそれであった。
まさにハートを打ち抜く『赤い矢』である。
発車時刻までは、あとわずか。
暑さも水も、トイレも脚の疲れも、ぜんぶ忘れた。
やるべきことはただひとつ、
荷物をつかんでホームへ向かって走り出すことだった。
▲ レッドアロー号が到着したレニングラード駅のホーム
なおきんの明日はどっちだ!?
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