もうずいぶん前のことだ。
なにげなくふとぼくが口にした「しかたがない」という日本語を、同じ職場のドイツ人から「シカタガナイ・・それどういう意味?」と返されたことがある。はたと困り、「ギブアップ・・かな?」と答えると、「アキラメテハダメダ!」とたたみかけられた。まるで自分がヘタレみたいに感じられ、否定したいのだけどなにしろボキャブラリーが足りない。うまい言葉がみつからない。さしあたり「アウト・オブ・コントロールという意味もある」と返すのがやっとだった。自分ではどうしようもないことなんだ、と。
そんな何十年も昔のささいな会話を今も忘れていないのは、まだしこりのようなものが残っているからだ。「しかたがない」という日本語には、あきらめでも、お手上げでもない、もっと強い意志のようなものが込められていると思う。
うけとめること。
「しかたがない」には、身のまわりに起こる理不尽さや過酷な状況を、強い心でしっかりと受け止める覚悟が含まれている。その上で、自分ではどうにもならないことや、理不尽さにとらわれることなく、自分のすべきことをおこない、いっぽ前に進む。あきらめるとか、逃げるとは逆の意味がそこにある。
それをあの時、うまく返せなかった自分。いや、返せなかったというよりは「しかたがない」ということばを軽く見ていたというべきか。
人生には「しかたがない」ということが山ほどある。努力がかなわないことだってある。夢が壊れたりもする。でもそのことをうけとめ、強く生きる。今やるべきことにこころを注ぐ。古来より日本人は、そうやって粘り強く生きてきたのだと思う。
ギブアップの反対が「しかたない」である。あきらめず、うけとめる。しかたないじゃないかと。ひとは、世にあるすべてのものに生かされているのだ。生かされている限り、必死に生きていくしかない。
さてぼくの好きな曲の一つに、The Clashの”should I stay or should I go” というのがあります。曲の歌詞こそ「このままのふたりでいいのか、それとも別れるか?」というラブソングではあります。そんな歌詞はさておき、ぼくはこの曲をよく頭のなかで鳴らします。「留まるか、それとも逃げるか?」 人生とは選択の連続です。”Stay”の意味にはお馴染みの(留まる)のほかに(支える, 励ます)もあります。「しかたがない」の先には、”stay”があるような気がするのです。
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